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『バズー!魔法世界を詠む』 これまでのあらすじ
『テオの日記』 - 010

2015/03/18 WED

お金がない……。
僕はこのクロワール国の荒涼とした風景に黄昏れながら、懐の寂しさを噛み締めていた。
今回は飛び出すように旅に出たため、準備も万全だったとは言えず、魔術協会の援助もないに等しかったのだ。
こうして東端に辿り着いただけでもよかったと言えるくらいで、路銀は尽きかけていた。

「テオドールももう大人ですね」

僕の憂いを帯びた瞳を見て、フェールは感慨深げに言った。
……そんなフェールが問題だった。
この厳しい旅路の果てにいた彼は、五年前と全く同じ、精霊レベル1のチルと生命レベル1のリカヴァしか唱えられないらしいのだ
おまけに吟遊詩人は身軽でなければいけないなんて言って、重装防具を身に付ける事もなく、一体どうやってこの辺りを生き延びていたのか疑問を覚える身なりだった。

あなたにも働いてもらわなきゃ困るんだけど……。
どうやったら効率的に役立ってもらえるかを考えながら、この貧相な魔法と装備を持つ詩人を見つめていると、彼は突然僕をギュッと抱きしめた。
そして僕の美しい表情に何を勘違いしたのか、こう言った。

「ここまでよく頑張りました。辛い事もあったでしょう」

……三十路のあなたにも頑張って欲しい。
どうやら彼は専門的な魔法知識を学んだ訳ではないらしく、レベル3までの下級魔法しか覚えられないようで、僕はまた頭を抱えた。

裁きの塔は、八階まである。
そしてその最上階に、この調停都市ザインで崇められる偉大な神、ファルがいる。
そこに行けば全てが明らかになると言ったワイバーンの言葉を思い返しながら、僕ら三人はそびえ立つ緑の建造物を見上げていた。
そうしていると、時たま冒険者らしい者が向こうから出てきて、「いつになったら迷宮を抜けられるんだ……」などとぶつぶつ言いながら通り過ぎていくのだった。

裁きの塔の真下には迷宮が広がっていて、それをくぐり抜けなければ、塔にいると言われる番人と対峙する事すら適わない。
三人は互いに目でその覚悟を確かめ合うと、門をくぐった。

それぞれの通路は長く、遙か先にまで続いていた。
壁は高く、取っ掛かりが全く見当たらないツルツルとした手触りで、その材質は現代に伝わるものではないらしかった。
しかし上にちらと見える塔までの距離は、そこまで遠くはなさそうで、僕達は少し安堵したような気持ちで一歩目を踏み出したのだった。
が、ここでは距離など何の意味も成さないと、踏み入る者達はすぐに気付く事になる。

「ここは入り口じゃないか!」

迷宮の入り口では、ファル教の司祭達が卓を置き仕事に励んでいて、静かだった。
そんな場所でロマールの叫び声が響くのは、もう何度目か分からない。
のっぺりとして延々と続く壁の中に、唐突に現れる木扉。
そのどれをくぐっても、僕らはこうして入り口に戻ってきてしまうのだ。
仕掛け、原理、理由、そんなものをいくら探してもここには通路と壁があるばかりで、答えと呼べるような存在は見付からなかった。
一度など、塔の直下まで行けたのだったが、意気揚々とその扉をくぐると、またここに出てきてしまった。
その時ばかりは、ロマールも叫ぶ気力すら失っていた。

時間は過ぎ行き、日は巡り、幾つもの月が沈んでいった。
僕らは粗末な宿屋で目覚めると、乾いた朝食を放り込んだ口を動かし、塔を見つめながら迷宮に向かった。
そしてまた一つの扉をくぐり、朝と同じ町を歩いて、粗末な部屋で目を閉じるのだ。

そんな中で覚えているものと言えば、茫漠とした荒野だけだった。
ザインは閑散としていて、木は枯れ、地面は砂っぽかった。
日々誰かとすれ違うのだけれど、皆同じような顔をしていて、果たしてその日は誰と出会ったのか、誰を見たのか、今はもう何も思い出せないでいる。

敵を倒して得た金を持って、魔法屋にも何度か行った。
フェールはそこで召喚レベル1のサモニング、レベル3のテンタクル、変容レベル3のフィジカという一時的に筋力を増強する魔法などを覚えた。
それは、確からしかった。
しかし彼が魔法を伝授される光景、その時の呪文の響き、そして並んだ巻物を暇そうに眺めているロマールの姿、それらが本当に今日のものなのかは、いつだって分からなかった。
昨日の事のような気もするし、もしかすると、もっとずっと昔のもののような気もした。

「まるで時間の迷宮だ」

僕か、フェールか、ひょっとするとロマールが言った。
いや、どこかですれ違った誰かが言ったのかも知れない。
あの角を曲がると、またスカルナイトが待っているのだろうか?
また、精霊レベル3のアイスボルトを、レベル4のムーンライトを避けなければならない。
特に魅了レベル5のイルシスで眠らされるのだけは、防がなければならない。
今日がいつだったか、分からなくなってしまうから。

ある朝僕は、町の中の井戸をじっと覗き込んでいる男を見かけた。
まるで吸い込まれるように身を乗り出す男に近付くと、彼はひたすら何かを呟いていた。
「塔は迷宮の真ん中にある……。なのにどんなに歩いても辿り着かない……。扉を全て開けても、意味はない……。どちらから開けても、どんな順番で開けても、関係ない……。少しでも目を離せば、扉は壁となり、閉まっている……。井戸はどうか……? 塔に繋がっているのは、どこなのか……?」

男は酷い顔をしていた。
瞬きもしない目は血走り、皮膚は土の色をしていた。
何と美しくない顔なんだ……。
そうぼんやりと思って振り向くと、そこにも同じ顔があった。
僕は息を呑んだ。
それはフェールの顔だった。
そして、ロマールの顔だった。
僕は自分の顔に手を触れた。

怒りは、そうして目覚めたのだ。
僕の美しさが損なわれている?
神が作りしものの中で、唯一神よりも価値のある僕の美しさが、何物かによって損なわれている!
それは神であっても許されない所業のはずだ。
そんな事を、許す訳にはいかない。

そうして迷宮に飛び込んだ僕は、怒りに満ち溢れていた。
敵にも壁にも魔力をぶち当て、魔剣ペナリアを振り回し、ゆっくりと歩き続けた。
歩く時は、手に持つ刃の刀身だけを睨み付けていた。
静かにして絶大な怒りを、そこに込めるように。

するとある瞬間、僕は目覚めた。
それまで眠っていたのか、起きていたのか、歩いていたのか、走っていたのかすら分からなかったけれど、今は刀身に映る壁だけが見えていた。
壁が、ずれていたのだ。
目線を上げると、やはり切れ目のない壁が行き止まりを形成しているだけなのに、刀身を見つめると、そこには断ち切られたような隙間が見えた。

僕はふらふらとそこへ近付いていった。
そこには何と、通路があったのだ。
ある特定の角度、特定の位置からしか認識出来ない通路が、そこにあった。

僕ら三人は声を上げて進んだ。
その先にあったのは、最初からずっと見えていたあの中央の塔ではない、別の塔だった。
細く、静かなその塔は、数えてみると八階層あるようだった。

「ファル神は、死と平安を好む。神託は神の御業なり。相応の資格を示せし者のみに、許される」

七つ目の階層で、その声が聞こえた。
そして現れた巨大な赤い存在は、自らをファル神の使いグラバスと名乗った。
神はもう目の前にいるらしい。

僕が魔法を撃つ間に、ロマールが駆けてその赤に張り付いた。
フェールはフィジカを唱え、彼の筋力を一時的に増強する。
僕らに焦りや恐怖の感情は一切なかった。
そんなものは下に置いてきた。
今は神すらも恐れる対象ではなかったのだ。
僕は腕を組み、ロマールがグラバスとやらを屠るのを黙って見ていた。

「厳粛なるファルよ」
自分をあっさりと退けた僕達を八つ目の階層へ案内し、グラバスは言った。
「世界の行く末を語り給え」

そして、ファルは現れた。
目には見えなかったが、確かに大きな存在が眼前に鎮座していた。
「……神託を求める者よ、汝は古き帝国の後継者なり。ガゼルファン帝国を再興する運命の者。それ故に、答えよう」
声とも地響きともつかぬその音を聴いて、ロマールが目を見開いた。
「テオドールが皇帝の末裔だって!?」
「しっ。静かに」

「……復讐に狂いしベラニードの女王イネス、魔王オルヘスを召喚せり。魔界よりの者、地の表ことごとく覆い、形ある全てを破壊する」
「そんな……。何か防ぐ手立てはないのですか!」
その僕の問いに、ファル神はあの名を口にした。

「……バズー!の欠片を持ちて、クォーラスを訪れよ。魔王を滅ぼす剣、グランイストールとなるであろう」
「バズー!の欠片か……」
ロマールは言った。
「それで奴ら、探してたのか」
「……右手にグランイストール、左手に神の眼を携えしガゼルファンの王、暗闇の神殿にてオルヘスを打ち倒すべし。……唯一の法なり」

「なかなか難しそうな神託だな」
フェールがそう呟いて、僕は頷いた。
「僕が、魔王を倒す!? 暗闇の神殿に行って……。不可能だよ」
「……時は迫っている。急ぐのだ」
しかしファル神は簡潔な言葉を発すると、フォッサデルマの巻物を残し、消えしまった。

しばしの沈黙の後で、フェールは意を決したように顔を上げた。
「ベラニード族と戦う準備は、全く出来ていないんだ。こうなったからには、サールとデュールの王宮で、ベラニード族に対抗するための軍の派遣を要請するんだ」

「無理だ! サーセス帝国は動かない。デュエルファンが敵対しているサーセス帝国の軍を、領内に入れるはずがない」
ロマールの意見に、僕も同意する。
「それに、デュールじゃ魔術師を重んじていない」
「君は今や、ガゼルファン帝国の正統な後継者だ。それをザインの神託が、世界の危機と共に知らせている。頑固なデュール王でも、動かない訳にはいかないだろう。……死にたくなければね。それに、これがあれば、デュエルファンは君に逆らえないよ」

フェールは、美しい装飾品を取り出した。
「正当な帝国の後継者に与えられる、ティアラさ」
「ガゼラのティアラ! これが……」
「どうして、これを……」
イアルティスの歴史を教わる時に、その名は聞いた事があった。
だけどそんな歴史上の品がこんな所にあって、一介の吟遊詩人であるフェールが持っている理由は、僕達には想像も出来なかった。
そして彼は、驚きの事実を語った。

「リカルド様から預かっていたのさ。リカルド様と一緒に探索をしていたセラス騎士オルフェアというのが、私の兄なんだよ。……今まで黙っていてすまなかった」
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