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『バズー!魔法世界を詠む』 これまでのあらすじ
『テオの日記』 - 012

2015/06/07 SUN

「選んでくれると思っていたよ」
言葉とは裏腹にホッとしたような、それでいて強い覚悟を滲ませた表情でロマールが言った。
僕らは互いの顔を真正面から見た。
そこにはもう、十六の頃に初めて出会った少年は居らず、僕の瞳の中にはラルファス村を出てからの日々が風のように過ぎ去っていった。

「私でよければ……行きましょう」
一度自室へ下がっていたロットは、深々と息を吐いてから言った。
彼の体調は心配だったけれど、しかし当たり障りのない言葉で気遣う事など今更出来なかった。
するとロットは躊躇いがちだった僕に柔和な微笑を浮かべ、むしろこちらを安心させるように肩に手を置いてきた。
その時何故か、彼が年齢以上に年を取ったようにも見えた。

「ふうん、そうなの。面白そうだから、一緒に行ってあげるわ」
サリア姫は事も無げに答えて、ニコリと笑った。
彼女に声を掛けるかどうかは最後まで悩んだのだけれど、この厳しい戦いにはどうしても彼女の強力な魔法が必要だった。

そして何より、僕はまだベラニード族について何も知らないでいる。
一体どうしてこんな事になってしまったのか?
果たして誰が悪かったのか?
僕は何も知らないまま、人が魔王と呼ぶ存在を倒すため、戦いに赴こうとしているのだ。
いつかエルフ達が「哀れなベラニード」と口にしていたのが、ずっと気になっていた。
彼らと対峙するその時に、エルフである彼女がいて欲しかった。

「行きます」
僕が短く言うと、ナッシュおじさんは大きく頷いた。
そしてあのダルネリアで手に入れた深紅の宝玉、神の眼を手渡してくれた。
「魔王オルヘスは、不死の身体を持っている。グランイストールで倒したら、すぐに神の眼を使って次元の狭間へ放逐しなければならない」

ミレーヌは、着ればベラニードに見えるという黒いローブを用意してくれていた。
目的地はベラニードの都、神殿都市ベラン。
神殿部に辿り着くまでは、地下世界をその変装で切り抜ける。

そして僕達はグランイストールでパルの鏡に触れ、地下帝国へ転移した。
光のない世界へ。
魔物の跋扈する、不毛な地へ。

その暗闇の中では、巨大なグリフォンやスノービースト達が歩き回っていた。
何も見えやしないのに、遠大な暗がりを声もなく歩き続けていた。
雷の嵐ライトニングや、氷乱ブリーズブレイズ、そして地獄の業火ゲヘナが彼らによって放たれる時のみ、この地にも明かりが現れるのだった。
尽きぬ敵意が、ほんの一瞬の光明を出現させ続けた。

攻撃魔法が飛び交い、死がそこかしこに転がっていた。
襲いかかってきたスノービーストを凌げたのは、サリアが咄嗟に精霊レベル5のファイアスフィアを唱えてくれたからだ。
だけど、早速暗雲が立ちこめる。
魔力を回復するためのエリクサーフィズはいくつかあったものの、僕とロットとサリアがこのまま魔法を使い続けては、とても保ちそうもなかったのだ。

そんな事も分からない魔力も脳みそも空っぽなロマールは嫌がったけれど、僕達三人は戦闘を最小限に抑えるため、敵を避けて逃げながら進む事にした。
道がどこまで続くのかは見当も付かない。
闇は距離というものを奪うらしかった。
歪に曲がりくねった洞窟を抜け、途中で警備をするベラニード族達を変装で切り抜け、そしてひたすらに音もなく歩き続けた。
するとある時、マグマが噴出する巨大な空間へと僕達は出ていた。
赤々とした光が目を焼き、吹き上がる熱が肺を焼いた。

「お前達をベランへ行かせる訳にはいかん!」
そこには、あのクロイゼルが待ち受けていた。
彼は少数の部下を引き連れ、これまでとは全く違った決意を纏っているようだった。
「我々ベラニードが地上へ還るために、イネス様の邪魔をさせる訳にはいかん!」

死を覚悟した兵士達。
彼らは同時に召喚されたロックゴーレムと同じくらい、自己の生命を顧みなかった。
それに相対して、こちらの覚悟を表明するようにロマールが叫ぶ。
「お前達の企みなどに屈しはせん!」

「お前達は、自分達が何を言っているか分かっているのか? お前達が侵略者なんだぞ!」
その声と共に、魅了レベル6のデミンドが浴びせられ、僕らの精神はかき乱された。
自分が今何をしているのか?
それを掴み直す間に、ファイアスフィアが襲いかかってきて、こちらの陣形は完全に崩れていた。
ロットとサリアの意識が混濁している間は、全体回復である生命レベル4リバックが機能しない。

右へ動くも左へ動くも賭けだった。
僕は生命レベル2のフリーダでロットの状態を回復しようとしたけれど、もしもその間にロマールへ攻撃が集中すれば、彼は助からないだろうと分かっていた。
瞬間、呪文を詠唱しながら見た光景を、今でも覚えている。
クロイゼルは精霊レベル6のライトニングを唱えながらも、ほんの一瞬だけ動きを緩めたような気がしたのだ。
気のせいだったのかも知れない。
が、一瞬早くロットの意識が戻り、彼のリバックで僕達は持ち直した。

サリアの矢がその胸を貫き、クロイゼルは立ち尽くした。
「ぐっ! ぐぐぐっ……。わ、私は、ここで倒される……訳には……いかん、のだ。ベ、ベランを守らな……ければ……。イ、イネス様……」
それ以上の声は続かなかった。
彼はもはや動く事はなく、その手からパールスタッフとテリスの宝珠がこぼれ落ちた。

その頃地上は、開封の印の力により地上への門を破ったベラニード族に、占領されつつあった。
ネーリアに集結したイアルティス連合軍も、魔王の名において召喚された魔物と、ベラニード族の強力な魔法の前には為す術もなかった。
GA3019年秋
イアルティスに残された希望は、地下世界へ転移した四人だけだった。

パールスタッフを手に取ったサリアは、その宝石に魔力だけではない力が込められているみたいだと言った。
僕はかつてシャア・テリス教のアジトを壊滅させた時に、そこにパールドレスがあった事を思い出し、それが彼らにとって特別な宝石であるのだと知った。
エルフであるサリアは曇りない瞳でそれを見つめ、私に使わせて、と言った。

急がなければならなかった。
だが地下世界には時間の感覚が存在しない。
だからどれだけの時が残されているのか判然としなかったけれど、僕らは遂に神殿都市ベランに足を踏み入れた。

町の人々はそのほとんどが地上で行われる戦いに赴いたらしく、今は老人と子供ばかりを見かけた。
薄暗く、ボロボロの家の中からは、「あたし達みんな、地上に行けるのよ」と子に言い聞かせる母の声が漏れ聞こえてきた。
子供達は、地上を取り返しに行った父の帰りを切々と待っているようだった。
「あんた達も地上へ行くのかい? だからって酷い事はするなよ。俺達まで人間みたいになりたくないもんな……」
傷を負った兵士は、ベラニード族に変装した僕達に向かって、独り言のように言った。

ロマールを抑えるのが大変だった。
彼は、ベラニード族がベラニードの血を引くイシュカール帝国すら崩壊させたという事実を、騎士的感覚で許せないでいたのだ。
だがここにいる人々は、とにかく貧しかった。
通りの片隅で、痩せこけた老人が誰にでもこう言って回っていた。
「わしの家族は昔、人間に皆殺しにされたんじゃ」
「爺さん、その話は止めろよ。大抵の奴は、人間に家族を殺されているんだ」

憎しみを持った声もあった。
けれど多くは疲れ切っていて、ただ何かに手を伸ばすように、哀れだった。
「お腹がすいたよ」
「もうすぐお腹一杯食べられるようになる」
「地上には恐ろしい人間族がいるんだ」
「女王様の軍が、憎むべき敵を倒してくれるじゃろう」
「この五百年というもの、陽の光を見ていない。死ぬ前に外の世界へ戻りたい」
「故郷を追われて地下に押し込められた旅も終わる……」
「人間は酷い連中だが、憎しみは何も生み出さない……」
「オルヘスの力を借りたのはまずかったかも知れないな」
「豊かな地上へ戻りたい……」
「このままでは地下で死に絶えるところだった」
「地底世界は貧しく、食べるものさえ十分にない」
「祖先の土地を取り戻したいだけなんじゃ……」

ベランの街で装備と魔法を整えた。
彼らを討つための準備を、彼らの手を借りて行ったのだ。
ロマールでなくとも、今や立ち止まる事が出来ないのは分かっている。
僕は敵の魔法使用を禁止する、破魔レベル6のフォートレスを習得した。

ロットには主に探査魔法と変容魔法を覚えてもらった。
探査レベル6の攻撃魔法スピンネル、探査レベル7のウィークネス、そして地脈を探査して大地の歪みを解放する、失われたレベル8フォッサデルマ。
変容レベル2のドッジは神経伝達速度を増幅して素早さを上げ、変容レベル3のフィジカは筋力を増強、変容レベル4のレジストは毒沼等からの影響をなくす。
そして変容レベル8のオーラは、空間のオーラを変容させる事で敵全体を攻撃する。

サリアには生命魔法と、魅了魔法を主に覚えてもらった。
魅了レベル4の攻撃魔法イドバインド、魅了レベル6の意識混乱を引き起こすデミンド。
そして生命レベル8のキュアオール。
また、最後に精霊レベル6のライトニングを覚えた事で、サリアは雷と炎と氷の全体魔法を全て使いこなすようになった。

短い時間を無言の内に過ごす事で、様々な想いが通り過ぎていった。
切羽詰まっていたはずなのに、妙に考える時間だけはあった。
そして僕達は、神殿の扉へと手を掛けた。

「ベラニードに勝利を!」
「シャア・テリスの神よ! 地上を我らに返したまえ!」
そこにはこの街に残った人々の痛切な願いが木霊していた。
僕達が適当な場所に腰を下ろして様子を見ようとしていると、前に立っていた巫女が手を上げて場を静粛にし、凜とした声を響かせた。
「皆さん。地上への門は開かれ、ベラニードの戦士達はシュールを占領しました」

女性と老人による「ベラニード万歳」という喝采が収まるのを待って、彼女は続ける。
「しかし、私達が地上に出られる訳ではありません。『開封の印』によって開かれたシュールへの扉には、フェスターの力が残っており、力強い戦士しか通る事が出来ないのです」
「司祭様! 私達は皆、一目地上が見られるなら、死んでもよいと思っています。シュールの扉を開きましょう!」
「安心なさい。只今イネス様は、全てのベラニードを地上へ導くため、テリスの塔からファームへ通じる扉を開く儀式を行っておられます」

女王を称える大合唱が起こる中で、司祭は宣言する。
「暗黒の女神シャア・テリスが、光の女神テリスに戻る時がやってくるのです」
光の女神テリス、光の民ベラニード……。
彼らの言葉の一つ一つを聞いて、ロマールが堪らず口を開いた。
「一体……こいつら何を言ってるんだ」
「やっぱり人間が悪かったの?」
「まるで、人間が悪いみたいに……聞こえる」
サリアの呟くような一言に、僕はそれくらいしか返せなかった。

「……儀式を止めさせなくては!」
絡みつくような思考を振り払ったのは、ロマールだ。
僕達は彼に引っ張られるように、奥の間からテリスの塔へと続く道へと出て、それを駆け上がっていった。
「あなた方は……人間! 何て事! こんな大事な時に!」
「女王様をお守りするのよ!」
途中で祈りを捧げていた司祭達には、さすがに変装は通じなかった。
死に物狂いで食らいついてくる彼女達を、僕達は魔法で倒した。
そして、突き進んだ。

塔に着いたのは、女王イネスが高らかに宣言しているその時だった。
「ついに戒めは解かれた! 地上への扉は、今開かれた!」
彼女は自分に付き従っていた僧侶達にねぎらいの言葉を掛け、そこで僕達が突入したのだ。
「……そなたら! どうやってここへ……」
「地上への扉は通らせないぞ!」
剣を引き抜いたロマールに、イネスは一瞬痛切な表情を見せた。
「我らベラニードは、国を奪われ、地底に追いやられた民じゃ! 地上に戻りたいと思って……何が悪い!」

僕は口ごもった。
「ベラニードに騙されるな、テオドール! 迷っている時間はないぞ!」
そして彼女は、何かを決意したような、何かを諦めたような、何かの結末を迎え入れたような、そんな声を吐き出した。
「まあ、よい……。魔王と盟約を結び、闇の民となったベラニードを倒すのは、そなたらには正義なのかも知れん。……じゃからと言って、ただ討たれる訳には、いかぬ!」

女王は強い魔力を使いこなした。
僕の召喚魔法の最高峰、レベル8ブレースですらも彼女はさほど堪えていないらしく、遠目からの魔法の撃ち合いではこちらが消耗を強いられる一方だった。
だからサリアのライトニングでお付きの僧侶達を蹴散らした後は、ロットが唱えるフィジカによって強化されたロマールの攻撃が頼りだった。
僕達はイネスの放つ地獄の業火ゲヘナをかいくぐり、フォッグで目眩ましをし、サモニングでロマールを援護し続けた。

その刃を身に受けても、彼女は叫び声すら上げなかった。
ただ無言のまま、今度は表情も変えずに散っていった。
イネスの眼が閉じると、彼女の横たわった地面が激しく揺れた。
目の前の空間がひしゃげて、気が付いた時には、僕らは眼前に魔王を目撃していた。

「ベラニード族との盟約により、お前達を煉獄へ連れ去ってやろう」
……魔力が保つだろうか?
頭をよぎるそんな不安を打ち払うかのように、ロマールが横から疾駆していった。
何かを心配している暇などないぞと、あいつの背中が言っていた。
サリアが生命レベル5の継続治癒リジェを、ロットがフィジカを、彼に託す。
僕も咄嗟に、オルヘスに向かってフォッグとフォートレスを唱えた。

しかし魔王の無尽蔵の魔力を封じる事は適わなかった。
ゲヘナの炎が辺り一面を焼き払う。
僕達はそれから身を守る事に精一杯で、隙を見て放った幻影レベル8のミラージュも、精神体と物質体を超越したような魔王にはほとんど通用していなかった。
またしても張り付いたロマールが頼りだ。

あいつの剣は、確かに魔王に届いていたのだ。
それは馬鹿正直に何かを信じながら、朝から晩まで振ってきた、あいつの剣だった。
だが揺らいで見えるかのようにその巨体を扱うオルヘスに対し、完璧な一撃というものは、なかなか与えられそうもなかった。

度重なるライトニングをやり過ごした後の事だ。
その時、地獄の業火と称されるゲヘナとも根本的に異なる、強烈な閃光が僕達を灼いた。
「デスレイ」
魔法を解する者が魔力による力の発現を見ると、その構造的文字列を理解する事が出来る。
僕とロットとサリアは、その言葉をはっきりと認識した。
しかし、知らなかった。
それは失われたレベル8にすら含まれない、異次元の魔法だった。
「デスレイ」

サリアは咄嗟に生命レベル4のリバックを詠唱して、僕らを窮地から救った。
しかし淡々と、第二波が来る。
それは決死の一撃などではなく、単に魔王という階層の一端に過ぎなかったのだ。
リバックの魔力消費は膨大で、それを恒常的に唱えるのはサリアにもロットにも不可能だ。
リジェで全員を世話し続ける事も出来ないし、魔力効率の良いリカヴァでは手間ばかりがかかって、押し潰されてしまう。

綱渡りだった。
文字通り命を天秤に掛けながら、僕達は戦い続けた。
互いを思いやる余裕などなかったし、今はそんな感情が邪魔なのだと分かっていた。

サリアが魔力をぶつけ敵の魔法を打ち消した事で、ほんの一呼吸の余裕が生まれた。
その隙に、消耗していた彼女が体力と魔力を完全回復するグラールフィズを、ロットが魔力補給を出来るエリクサーフィズを使い、僕達は体勢を立て直す事に成功した。
しかしそれも一時凌ぎにしかならない。

状況を打破出来る何かが必要だった。
このままでは圧死する。
じわじわと嬲り殺されていくように。
下手に魔法を使いこなせるだけ、苦しみが増える……。

ぼうとした感情が泡のように湧いては消えていく中で、ロットのフィジカが僕を包んだ。
最初は意味が分からなかった。
詠唱を失敗したのかと思っていた。
しかしロットはフィジカを唱え終わると、言葉を交わす間もない中で、僕の右手に握られていたグランイストールを一瞥した。
援護は魔力を回復した二人に任せていい、彼はそう言っているようだった。

僕は駆けた。
ロマールの背を目指して。
するとロマールがオルヘスに会心の一太刀を浴びせ、デスレイが少しの間止んだ。

グランイストールによる一撃は、雷撃のような光を纏って見えた。
その光が魔王の身体を歪ませ、断ち切ろうとねじ曲げる。
僕は横のロマールを見なかったし、後ろの二人を確認する事もなく、ただ剣を振った。
しかし頭の中は変に冴えたままで、もはやサリアの魔力が尽き、頼みの綱であるリバックが使えなくなる頃だという事だけは分かっていた。

「真の騎士には、魔王と言えども敵わないものだ!」
ああ……、また馬鹿が馬鹿な事を言っている。
そんな風に思ってふと顔を上げると、僕のグランイストールとロマールの剣が魔王オルヘスに深々と突き刺さり、時が止まったかのように、巨体が動かなくなっていた。

ロマールは息をぜえぜえ吐きながら、それでも無理矢理胸を張って勝ち誇っていた。
こいつは後ろがどれだけ自分を援護してくれていたか、分かっているのだろうか?
いやそれよりも、僕があの瞬間にグランイストールを信じていなければ、今頃全員がこの地の底で骸になっていただろう。
ロマールという奴は、常に最前線で剣を振っているだけだから、そういう事には一切気を取られないのだ。
全く馬鹿なのである。
馬鹿の一撃が、敵を打ち倒して、僕らは助かった。

完全に敵意が消えて停止したオルヘスを前にして、僕達はひとまず傷の治療を行った。
つまり助かろうとした……それが命取りだった。
振り向いて神の眼に手を掛けようとした瞬間、地鳴りと共にオルヘスは口を開いた。
「この程度で魔王が滅びるものか」

慌てて神の眼をかざそうとする僕を、ロットが止めた。
既に機を逸していたのだ。
とはいえ彼も、僕達の魔力が底をついているのを知っているはずだった。
だがその時、サリアがバックパックの中で光を放つテリスの宝珠に気が付いて、それを取り出した。
元々クロイゼルが持っていたその宝珠はオルヘスが動き出したのに反応し、強大な魔力が放たれようとする今、眩いばかりに輝いていたのだ。

何の根拠もない、縋るような行動だった。
しかしサリアは悲壮な顔など決して見せずに、颯爽と宝珠を掲げた。
すると宝珠は、放たれたデスレイの閃光をその中に飲み込み、無力化した。

僕達は死に物狂いで間合いを詰めた。
オルヘスは自身の魔力に絶対の自信を持っているらしく、魔法を放とうとし続け、宝珠がそれを飲み込み続けていた。
チャンスは長くない、数太刀振るいながらそう考えていた時、宝珠が砕け散った。

だが魔王の存在に反応したのはテリスの宝珠だけではなかった。
古代帝国の皇帝の証ガゼラのティアラは、オルヘスの存在を許さないとでも言うように、青白い光線を撃ち出し、巨体を傷付けた。
ロットはそれを扱いながら回復を行い、僕とロマールは剣で斬った。
そしてサリアは、最後の生命魔法を打ち、力尽きた。

まだ、エルフが作ったゴリアテの秘薬がある。
駆け寄って彼女を死から救い出したのは、ロットだった。
その際に彼は気が付いた。
彼女の肉体に、消耗していたはずの体力と魔力が戻っていた事に。

「私が適任でしょう。本当の窮地に陥ってからでは、遅い。何かを変えなければならないんです。テオドール」
確かに僕達はもうじり貧で、互いにまだ耐えられると思えば回復などしなかったし、死の淵に居たとしても慌てふためく事などなかった。
しかしロットは己に向けられた治癒を敢えて断ち切り、業火の中でも最後まで攻撃の手を緩めずに、自ら死を選び取ったのだった。

何とか隙を見つけて最後の秘薬を使い、彼の復活は成功した。
死を乗り越えたロットは、目を覚ましても夢の続きでも見ているかのような顔をしていた。
いや、よくよく考えれば、その超然とした気配には見覚えがあった。
僕達は、彼がパルの鏡の前に初めて立った時から、それを見てきたのかも知れなかった。

「今だ! 神の眼を使うんだ!」
回復したロットとサリアの魔法がオルヘスの魔力を押し返すように援護してくれたおかげで、僕達は戦い抜く事が出来た。
神の眼から吹き出す幾筋もの赤光。
それに触れたものは、何もかもが破壊されていく。
オルヘスの肢体が崩れ落ち、それらが次元の狭間へと放逐され消え失せていくと、視界がぶれるような地鳴りが世界を揺らし始めた。

「早くここから逃げよう!」
塔を登っていく最中、ロマールはこの地鳴りの正体に疑惑を覚えていた。
だから僕は前を向いて走りながら、ランダル師匠に聞いていた事を教えてあげた。
「神の眼はこの世界を作り出した古き神の眼だと言われている。……天地創造の力が解き放たれたんだ」
「何だって! どうして教えてくれなかったんだ!」
「これがなければ、オルヘスを倒す事は出来なかった……」

「神の眼を使いおって……! やっとフェスターの封印を破ったというのに、もはや何の意味もない……」
最上階の地底湖まで行き着いた時、僕の言葉に答える声があった。
「貴様は女王イネス!?」
「暗黒神殿で倒したはず……!」
「あれはわらわの影じゃ。……人間とは、残酷な生き物じゃ。我らを地下世界に封じただけでは飽き足らず、ベランすら奪うのじゃな」
「そ、そんなつもりで……」
「何の罪もない民が……お前達の手で滅びていくのじゃ……」

ロマールは血の付いていた頬を拭い、キッと厳しい眼を向けた。
「何を勝手な事を! イアルティスの平和を乱したのは、お前達だ!」
「もはやどうでもよい事よ……。これでベラニードも滅びる。……じゃが、お前達だけは逃がしはせぬ!」
「騎士の力の前には、貴様の魔法など無力だという事を教えてやる!」
「イネスの巫女達よ。そなたらの魔力をわらわに……」

女王の名、『イネス』を叫ぶ声が頭の中に響き渡った。
そして彼女に付き従っていた巫女達の身体から淡い光が抜け出し、それは揺らめきながらイネスの身体を取り巻いた。
すると魔王オルヘスにも引けを取らない爆発的な魔力が、風のように僕達の髪を揺らした。
「ベラニード族五百年の悔しみを受けるがよい!」

やるしかない。
そう思う事で身体を奮い立たせたものの、既に判断力は摩耗していたのかも知れない。
ゲヘナの火柱を躱しながら遮二無二接近していった僕とロマールの顔をかすめて、真っ黒な雷光が鋭い線を描いたのだ。
短すぎる悲鳴に、ぞっと寒気がした。
振り向くと、ゆっくり倒れていくサリアの姿が見えた。
ゴリアテの秘薬はもうない。
リバックを使いこなして僕らを支える事が出来るのは、もうロットしか残っていない。

ダークボルト。
サリアを狙撃したその呪文も、人間が知らないものだった。
しかし、その脅威に晒されながらも、前へ進むしかない。
回復魔法を唱えるロットが息継ぎを必要とすれば、それでもうおしまいだ。
僕らは決死の覚悟で攻撃を続け、女王を斬り伏せた。

「イネス様ー!」
地鳴りの中で塔を登ってきた男は、女王に駆け寄り、彼女を抱き上げた。
「ま、間に合わなかった!」
「クロイゼルか!?」
「貴様らあ! よくもイネス様を! ああっ……! テリスの書の霊力を、私の蘇りなぞに使っていなければ……」

涙をこぼすその姿を前に、ロマールが歯を食いしばり言った。
「戦いは……騎士の務めだ。女とはいえ、ベラニードに手加減は出来ん」
「テリスの書さえあれば……貴様如きに敗れるイネス様ではないわ!」
クロイゼル、とイネスの唇が動いた。
「クロイゼ、ル……。テリスの書を持って、逃げ延びるのじゃ。ベラニード族を、再興……するの……」

彼女は最後までベラニードを想い、息絶えた。
言葉を失うクロイゼルに、僕が言った。
「無駄な戦いをする事はない」
「テオドール! テリスの書を持たせたまま逃がしてもいいのか!」
「元より……元より、見逃してもらう気などないわ。ベラニードの生き残りとして、決着を付けさせてもらう。ベランと共に全てを失った今、生き残って……何になる」
「この塔はじきに崩れるぞ! こんな所で戦う気か!」
「地上へは帰さん! テリスの書には、全てのベラニードの魔力が封じられている。我らの最後の力を見るがいい!」

クロイゼルは、テリスの書を開いた。
すると遠い地下、ベランから無数の光が彼に集まってきた。
イネスの亡骸からも光が脱け出し、それはテリスの書に吸い込まれていく。

サリアはまともに動けない。
クロイゼルがベラニードの魔力を利用して放つウェッブストームを凌ぐには、リバックが必要だった。
しかし扱えるのは、疲弊しきったロット一人。
それももう何度も使えないため、後は僕とロットのリカヴァで凌げるだけ凌ぎ、最も効果的な機を見付けてリバックで一転攻勢をかけるしかなかった。

「テオドール。最悪、あなたが生き残れば何とかなります」
ロットは言って、リカヴァを唱え続けた。
「張り付けば脆いはずだ!」
ロマールは叫んだが、炎に包まれながらダークボルトの一撃にも気を遣わなければならない状況では、魔法に弱い彼の攻撃は本来の鋭さを保てなかった。

意識が飛んでしまわないのが不思議だった。
いや、きっともう思考する力など残っていなくて、身体が勝手に戦い続けているだけなのだろう。
しかしクロイゼルも血を流しながら、まだ万全ではない肉体を軋ませていた。
総力戦の渦中ではもはや作戦など大した意味を持たず、死闘の最中では技術も力も運すらもさして違いがなかった。

僕はロマールと並んで戦っていた。
あのハイブレス城の屋上で、こいつと剣の稽古をしたっけ。
全く気が利かないくせにお節介で、セラスに着いてからもいつも付きまとってきた。
どの探索にもこいつが付いてきたけれど、この馬鹿騎士が起こしたトラブルも多くて、その解決に散々苦労させられた。
あーあ、また剣を外してる。
本当、こんな地の底に来ても、こいつには世話を焼かされっぱなしだ。

クロイゼルが杖を打ち下ろして、僕はそれを受け止めた。
魔力が尽きたのだと、すぐに分かった。
こっちも似たような状況だったからだ。
しかし、僕には仲間がいた。
仲間と共に僕は剣を振るい、クロイゼルは一人倒れた。

彼がその瞳が閉じると共に、遙か地底から一際大きな爆発が轟いた。
地底湖の黒い水面に張り付くように立っていた塔がぐらりと揺れたかと思うと、それはゆっくりと沈み始める。
「塔が崩れる! 早く飛び移るんだ!」
サリアを抱きかかえたロマールが声を張り上げた。
「けど、ベランの人々が……」
「諦めるんだ!」

ファームの地にあった、シャア・テリスの寺院地下に僕達は脱け出した。
まだ微かにベランの人々の悲鳴が聞こえるような気がしたけれど、ここまで声が届く訳もないのだから、それは気のせいだったのかも知れない。
けれど、ベランの崩壊は事実だった。
多くのベラニード族達が、神殿と運命を共にしていったのだ。
僕は、見つめる事しか出来なかった。

かくて、闇の女王イネスと魔王オルヘスは倒された。
地下帝国の崩壊は地上を襲う大地震となり、ベランの上に位置したネーファンの各地は壊滅的な打撃を受けた。
だが、街はやがて復興する。

GA3019年
イアルティスの人々は、闇の民ベラニードと魔王オルヘスの脅威から、永久に解放された。
そう、永久に。
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