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『ポンコツロマン大活劇バンピートロットを詠む』 これまでのあらすじ

『キニス・プルウィア』 - 015

あれから、日々はあっという間に過ぎていった。
大規模な被害を受けたハッピーガーランドの復興再開発は、国が主導する巨大事業として迅速に行われ、キニスを含めた国中のビークル乗りがそれに参加した。
大量の物資と人を飲み込んだ都市はあっという間にその機能を回復すると、今や以前よりも更に発展した姿になろうと躍起になっている。
既に、街の喧噪からあの事件を思い起こすのは難しい。

人は皆、逞しい。
本当に苦しい時は、立ち止まってなどいられない。
一国を揺るがした混乱も、個人個人に焦点を当てれば、記憶の中の一日に過ぎなくなりつつあった。
それ程に、新しい毎日は次から次へとやってきて、気を抜けば何もかもが置き去りにされてしまう。

「やあ、キニス! 今日もピジョン牧場かい?」

歩道から手を振られて、パンを囓っていたキニスは帽子を軽く上げて応えた。
朝の空とそっくりな色をしたそのビークルが、陽光を背に受けて大きく見える。
世間が多少落ち着いた今でも、彼がネフロネフロの街中を行けばこうしてよく声を掛けられた。

楽団は今、開店休業状態だ。
今後の活動について様々な意見が出たのは事実だが、忙しない時期に楽団員それぞれがやらなければならない事を抱えていたというのが実際である。
ハッピーガーランドでの仕事が一段落した後、コニーは母の看病の為にゴールドーン村へと行き、他の面々も言葉少なに各地へ散っていった。
キニスにもナツメッグ博士から誘いがかかっていて、今は人類史上初の空飛ぶビークルに乗った人間として、テストパイロットの仕事をこなしていた。
ブラッディマンティス団の最終兵器グランドフィナーレ、その巨大な飛行船と戦う為に生み出された機械が、この世界の技術をまた大きく進めようとしているのだ。

「諦めないぞ……。あの空飛ぶビークルを改良し、大量に生産すれば、今度こそこの国を火の海にする事が出来る!」

唐突に、ウミネコ海岸で追い詰められたダンディリオンの言葉が、頭の中に響いた。
国家反逆罪で手錠を掛けられた時の彼の声は、キニスが知っているあの穏やかな深みのあるものではなく、怒りと憎しみに震えた恐ろしいものだった。

「僕は正気だよ、キニス。どうかしているのはこの国の方だ。皆ろくに扱えもしないのに、機械の進歩を自分の進歩だと勘違いしている。僕は機械が、この時代が憎かった。機械さえなければ、チコリはあんな事にならなかった! 初めてトロットビークルに乗った時、直感したんだ。これは人を魅了する、悪魔の力だと。そしてこうも思った。この力があれば、チコリを見殺しにしたこの国の皆に復讐が出来る……」

ホワイトレクイエムで襲いかかってきたダンディリオンと剣を交え、キニスはすぐに彼こそが仮面の人エルダーであると確信した。
それは一度闘技場で戦った経験があるキニスだからこそ、分かったのだろう。
そしてその瞬間に、ホテルの渡り廊下でハッピーガーランド駅前広場をじっと見つめていたエルダーの姿が、強烈に思い出された。

ジンジャー師匠が語っていた。
「ある男に、トロットビークルの操縦を教えた。失意に沈む彼に、生きる希望を与える為に。彼はみるみる内に頭角を現し、今や最強のビークルバトラーとなった。そして私は知ってしまったのだ。彼の中にある闇を……。圧倒的な強さと、徹底した残忍さ。もう白い悪魔と呼ばれるエルダーを止める事は出来ない……」

キニスは今でも、市民軍でのライブの後に、バイオリンを手渡してくれた彼の表情を思い浮かべる事がある。
あれはまるきり嘘だったのか、それとも何かの決意だったのか、キニスには推測する事も出来なかった。
どれだけ経っても、分からない事が山のようにあった。
楽団の仲間であり、ちょっとした憧れの人でもあったセイボリーがダンディリオンと愛し合っていたという事、そして共にブラッディマンティス団を使ってこの国を滅ぼそうとしていた事も、彼にとっては全く想像が及ばない真実だった。

「あなた、私を本当に理解しているつもりなの?」

彼女の寂しそうな声がこだまする。
セイボリーはそんな悪い事が出来る人じゃない。
そう言って彼女を止めようとしたコニーに返されたこの言葉は、彼にも大変なショックを与えた。

キニスも、似たような事を言ったからである。
飛行船の中で捕まってしまった際、何度も何度もごめんなさいと言って謝ったマーシュに対して、コニーは珍しく強い拒絶を露わにしていた。
海外に行って、一人で改心し、一人で謝れるようになった彼を見て、彼女はどうしても許せなかったのだ。
自分は今も後悔から逃れられず、大切な人に謝る事が出来ないでいたから。
そのやりとりを聞いていた時のキニスは、何の役にも立てず、無力だった。
しかしそんな中で、彼は涙を止められないでいる彼女に向かって口を開いたのである。

「皆きっと、分かってくれているよ」

部外者で、無責任で、これまで言えなかった言葉だった。
いつか彼らの事を、彼らの気持ちを理解出来るようになったらと、そんな風に構えていて、いつまで経っても踏み込めないでいたのだ。
しかしどうにもならない感情があるように、どうにも出来ない人間が与える何かだって意味があるのだと、キニスはそう信じた。

思えば、この事はハッピーガーランドでビークルバトラーと工員という二重の生活を送っていたビスカスが、教えてくれたのかも知れなかった。
騙されていると知りながらもごろつき男の世話をしていた彼女は、お金を持ち逃げされた時ですら、偽りでも人の優しさが欲しかったのだと微笑んでいた。
身寄りがなく、エルダーに鍛えられた過去を持つ彼女は、彼が決して心を開いてくれなかった事に今でも深く傷付いている。

「ごめんなさい、ダンディリオン。私、頑張ったけど、あなたの役に立てなかった……」
果たしてセイボリーは、どんな気持ちでダンディリオンの隣にいたのだろう。
彼女は最期の瞬間まで、この国への強い憎しみに囚われている彼に、愛と慈しみを向けていた。
「あなたと会えて、あなたがいるこの国に生まれて、あなたと同じ街で暮らせて、幸せだったわ……。ねえ皆、ダンディリオンを赦してあげて。ダンディリオン、こんなに苦しんでるのよ。可哀想じゃない……」

その時、キニスは真っ先に頷いた。
何の権利があってか、赦すよと、真っ先に頷いたのである。
するとセイボリーは安らかな笑みを浮かべて、「……よかった」と目を閉じた。

ピジョン牧場ののどかな風景をビークルで走りながら、キニスはコニーに最後の楽譜を手渡した際のダンディリオンの表情を思い浮かべていた。
どうか詞を付けてくれと頼まれたコニーは、黙ってそれを受け取り、決意を秘めた瞳で彼を見つめた。
あの曲がどうなったのか、キニスは知らない。

先頃、ジュニパーベリー号再建の目処が立ったという報せが彼の元へ届いた。
探し求めていた記憶は結局戻らないままだ。
彼は今も、あの海岸で目覚めてからここまで生活を続けてきたキニス・プルウィアという男であり、それ以外の何者でもなかった。
帰る場所だって、ネフロコーポ二階の狭い一室以外には持っていない。

しかし船が直って港を出る時は、自分もその乗組員として世界を巡ってみたいと、いつの間にかキニスはそんな考えを持つようになっていた。
何故かは分からない。
巨大冒険家という、世間が無責任に付けた呼び名がそうさせたのだろうか?
時に人は、そんなどうにもならない理由で、生きていく。

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