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『Persona 2を詠む』 Appendix Story

『日常C』

 久我敏哉は夢を見た。
 真昼の空が視界一杯に広がって、そこへ吸い込まれるように、彼は落ちていた。地上十二階の均一なマンションが建ち並ぶ、大型住宅区。思わず手を伸ばすと、その腕には見知らぬ火傷の痕があって、遠ざかる屋上からは小さな人影がこちらを見下ろしていた。
 風に横面を張られて目を覚ますと、彼はやはり屋上に寝転んでいた。空には初夏の香りと、放課後の喧噪が微かに漂っている。敏哉は身を起こしてフェンスまで歩き、この七姉妹学園における自分の日常というものを踏み締めるように、暫くそうして下を眺めていた。
 するとふと、校門の辺りで人の流れが妙な動きをしているのに気が付いた。遠目でもはっきりと分かる他校の制服、逆立てた真っ青な髪、大きなギターケースという出で立ちの男に、下校中の生徒達は関わり合いにならないようにしつつも、無遠慮な興味を向けているらしかった。
「遅いぞ!」
 ようやく降りてきた敏哉に、彼は言った。
「お前、本当に来たのか」
「男の約束だって言っただろ!」
 三科栄吉は派手な化粧を施したその顔をクワッと顰めたりして周囲の目を威嚇しつつ、敏哉の腕を引っ張って、蓮華台駅の方へと向かっていった。

 夢﨑区はいつも、時間を持て余した若者達でごった返している。林立するビルの隙間を這う道には、彼らが常に我が物顔で行き来していて、たまに通る車の方が遠慮がちに速度を落とす始末である。
 栄吉は歩きながら、ガスチェンバーの本格始動について身振り手振りを加えて、熱っぽく話していた。長身で手足が長い為に、その派手な動きの一つ一つが、掻き分けるように人波を動かしていく。敏哉はポケットに手を突っ込んで、その光景に肩を竦めた。
「俺は一言も、やるとは言ってないんだけどな」
「ヘイヘイ! 今日の予定には、敏哉のギターを見に行くのも入ってるんだ。もういい加減、観念するんだね」
 栄吉がカラカラと笑うと、背中のギターケースが重たげに揺れる。
「お前が弾かないなら、そいつを使えばいいんじゃないのか?」
「とんでもない! これはスーパーノヴァといって、伝説的な激レアギターなんだ。ふむ、そうだな。確かに、これからミュ~ジシャンの道を歩み始める敏哉にも、伝えておかなきゃならないだろうね。ボクとこいつの奇跡の出会いってやつを。イッツ・ア・ロング・ストーリィ……」
 そうして彼が語り始めたのは、とにかく親が厳しくて小遣いが不足しているという愚痴と、その為に実践している日々の節約術、更にはそれをやり通す精神的なコツを、ダイエットを例に挙げて解説するといったものだった。そんな禁欲的な生活の告白は全て、雑誌一冊分の金額が血の滲むような努力の結晶であると説明する為の前置きらしかった。彼がとある音楽誌を立ち読みで済ませずに購入したのはそれだけ珍しい事だったし、そこに載っていた懸賞に応募したのも、家に葉書が余っていたからに過ぎなかった。勿論、たった一通送っただけで当たるなどとは考えなかったという。栄吉はそう回顧しながら、このギターがどんなに素晴らしい音を出すのか、どんなに著名なギタリスト達が使っているのかを持ち出して、最後にしみじみと呟いた。
「それでも導かれるように、こいつはボクの元にやってきた。まさにデスティニー……」
「じゃあ、弾けよ」
「ところが、この胸に秘められた魂は、ヴォーカルに捧げられたものだからね。今こいつにしてやれる事といったら、こうやって寄り添う事くらいなのさ……」
 実際、三科栄吉という男はよく分からなかった。春日山高校では曲がりなりにも番長を張っているのだから、根性も見栄もあるらしかった。他校の上級生であり、しかも他人を寄せ付けない不良としてクラスメートや教師にすらも一線を引かれている敏哉に声を掛けてきた、そんな行動力もある。しかしそれにしては、やりたい事のはっきりしないように、敏哉には思われた。そもそも何故、自分を誘ったのか。楽器など触った事もないのに。

 駅から歩いて十分程で、二人は中夢﨑公園に着いた。巨大な商業ビルが囲む中に、舗装されたスペースがぽっかりと開け、外周には痩せた木がぽつぽつと植えられてベンチが置かれている。そこで一休みする人の姿がそうさせるのか、こんな殺風景な広場であっても、派手な映像広告や巨大な垂れ幕、出入りの激しいコンビニエンスストアといった周囲の騒々しい景色を、穏やかに見せてくれるのだ。
 いたいた、と栄吉は一つの木陰を指さした。そこには春日山高校の制服を着た学生が一人、片手に持った文庫本を静かに読んでいた。近付いていくと彼は顔を上げて、その黒い瞳に宿る知性と、相手を呑むような美しい表情を露わにした。
 黒須淳。そう紹介を受けた彼に、敏哉は奇妙な感覚を覚えた。それは所謂既視感には違いなかったが、いつかどこかで会ったというよりも、つい今し方、通り過ぎたショウウィンドウの中に映り込んでいたような気がするといったものだったのだ。
「よろしく、久我君」
 差し出されたほっそりとした手に躊躇いを抱く暇もなく、栄吉が二人の肩を抱いた。
「ノンノン! そんな余所余所しい呼び方は、ガスチェンバーという運命共同体には相応しくないね!」
「ははは。分かったよ、ミッシェル」
「ミッシェル?」
「魂の名前、ステージネームさ!」
「……お前達は、付き合い長いのか?」
「いいや、僕もこの間声を掛けられたばかりだよ」
「友情というものに、時間は関係ないからね。本当に気の合う仲間ってやつは、初めて会った時から、昨日の続きみたいに連むものさ。まるで、もう何度も生涯の友として出会った事があるように……。なあ、分かるだろ?」
 風に触れられた木々のようにくすぐったそうな顔を見せた後、よろしく敏哉と、淳は笑った。

 三人が向かったのは、ギガ・マッチョというCDショップだった。五階建てビルを丸々使った広大な売り場には、あらゆる年代やジャンルの商品が取り扱われており、最上階ではラジオの公開収録にも使われるイベントスペースが毎日のように稼働している、まさに音楽文化の発信地である。
「まずはお互い、好きな音楽を持ち寄るんだ。それが、バンドメンバーの挨拶代わりだろ? ボクはその上で、諸君がひとまず通過しなきゃならない、超重要な必聴CDを集めてくるからさ。それまでゆっくり、セレクトしていてくれたまえ」
 一方の壁にずらりと設置された試聴コーナーには、切り替え可能なディスクのジャケットがカラフルなイメージを並べていて、それぞれに店員達による手書きのメモが添えられていた。字体や構成に目一杯の工夫が凝らされ、イラストも添えられてあったりと、どれもこれもが彼らの拘りを形にしたものだと一目で分かる。それはまるで、人は音楽を知る為に生きているのだと、何の怖れもなく訴えているようだった。
 淳はそれを楽しそうに覗き込んでいたが、隣に敏哉が来たのに気が付いて姿勢を直し、学生鞄を肩に掛け直した。
「見たところ、優等生らしいな」
「君は、少し悪そうに見えるね」
「どうしてあいつに付き合ってるんだ?」
 目線の先で、巨大なギターケースがふらふらと、迷宮のような商品棚の間を彷徨っている。
「バンドメンバー大募集、当方ボーカル。厄介な手合いだろ」
「ふふ、そうかも知れないね。だけど僕も君も、どうしてかここにいる。ひょっとしたら、僕達の方が口実を探していたのかも知れないよ。子供というのは、口実ばかり探しているらしいから。親の前で、いつも言い訳をさせられる為に」
「口実って、何の?」
「さあ……。実際は空っぽなのかも知れない。例えば、何かでかい事をやってやろうなんて、口に出すのも恥ずかしいような。それでも、このままだと自分の人生が徐々に決定付けられていくようで怖ろしく、いられない。そのくせ世の中というものには変に勇敢で、根拠も無いのに、自分だったらやれるような気がしている」
 随分巧く言葉を使う男だと、敏哉は思った。一方淳も、物事を貫く鋼のような彼の瞳を、興味深そうに見つめていた。
「……まあ、悪い奴ではなさそうだけどな。面構えを見りゃ、大体分かる」
「うん」
「だけど、あいつにやりたい音楽なんてあるのかね」
「こっちも何か見つけなくちゃ。古くてもいいのかな。何だか、自分をさらけ出すみたいで恥ずかしいね」

 その時、フロアの一角で軽い歓声が沸いた。目を向けるとほんの小さな人だかりが出来ていて、そこではマイク音声が間の抜けた調子でアナウンスを読み上げ、時たま思い出したようにフラッシュが焚かれていた。
「アイドルが、CDを手売りするんだってよ」
 遠巻きにそれを眺めていた栄吉の側まで行くと、彼は興味があるのかないのか、素っ気ない様子のまま教えてくれた。確かに中心には同じような格好をした少女が三人、ぎこちなく立っていて、手を振ったり互いに耳打ちをしたりしている。
 取り巻いているのは冴えない男ばかりだったが、母娘が一組だけいた。幼い娘はアイドルという存在をお姫様か何かと思っているのか、憧れに眼をキラキラさせていて、自分でもこっそり踊りを披露する素振りを見せては、恥ずかしそうに母親に抱き付いている。
「ああやって、一日に何軒も何軒もショップを回るんだと。握手したり、写真を撮ったり……」
「アイドルも大変なんだ」
「事務所が大手なら、違うんだろうけどな」
 どこか浮かない栄吉の態度に、二人は怪訝な視線を送った。すると彼はそれに気が付いて、ばつが悪そうに頭をかいた。
「全く、分からないよな。彼女達を見てみろよ。とても可愛いじゃないか。テレビで見るようなアイドルと、そこまで違いがあるように思うか? ひょっとしたら、あの三人を選んだオーディションにだって、他にそんな娘がいたのかも知れない。だけど何かが違って、この世界には残れなかった。いやそれ以前に、可能性を持っているのに挑戦すらしなかった、そんなのが沢山いる訳だろ……?」
 売れないアイドルを見て自信でも失っているのかというと、そうではなさそうだった。敏哉も淳も、何故かそれが分かるような気がして、彼の言いたがっている言葉を黙って待っていた。
「同じ国に生まれて、同じように生きてきて、笑ったり悩んだりしていた筈なのに。誰かは見出されて華やかな舞台へ、誰かは故郷に残ってそこで一生を過ごすような、その違いって何だろうな? 本当は俺達にしたって、大した決心をする間もなく、そんな分かれ道を幾つも通り過ぎていっているのかも知れない。それも他人の思い込みみたいな、筋違いの何かに影響されて、丸きり変わってしまうような事ばかりで。この日常にしたって、そうだろ? 皆気付かないようにしているだけで、足下にはきっと青春の死体みたいなものが沢山積み重なってる」
 その横顔は、敏哉が知っているお調子者とは別の誰かに見えた。しかし一つ息を吐いた彼がこちらを向くと、そこにはやはり力強く、悪戯っぽい表情を浮かべた栄吉がいて、すぐに大袈裟な仕草をしながら笑い飛ばすのだった。
「まっ、ボクみたいな本物のスターには関係のない話だけれどね! 何せ真実の美というものは永遠の存在、他と比較されるものではないからさ。キミ達、このミッシェル様と同じバンドのメンバーだという幸運を噛み締めてくれたまえ! ホォォオォウ!」
 その瞬間に、敏哉は自分達を包む世界が騒々しさを取り戻したような気がした。一つ一つを拾い上げれば取るに足らない、そんな下らないやり取りが至る所で流れて、気に掛けていなければ何もかもが過ぎ去ってしまうような音で溢れていたのである。そしてそれは何となく、彼を優しく勇気付けてくれるものだった。
「ミッシェルは、歌詞も書くの?」
「オフコース! 真実の美は、生涯のテーマさ」
「いや、その前のやつが面白かったよ。きっと良い歌になるんじゃないかな」
「ん、そうかい? どんな話だっけ? ボクのお勧めはあくまでもセクシーな……」
 慌ただしさが時間を押し動かし、それが活気となって人々の間を流れていくのが分かった。アイドル達のところでは、雑誌記者と思しき女性がバタバタと到着して、イベントの取材を始めたらしい。ほんの小さなイベントに、よく見れば何人もの人間が関わっているようだった。
 敏哉は腹を決めたように、栄吉と淳の方を振り返った。
「栄吉、やっぱりそのギター、俺に弾かせろよ」
 その言葉に、話していた二人は顔を見合わせた。
「オォ、敏哉。やる気になってくれたようで、嬉しいよ。だけどさっきも説明したように、こいつはスーパーノヴァといって伝説的な……」
「敏哉はギターを弾けるんだ?」
「いや、触った事もない。だけどまあ、やってみるさ」
「いいかい、希少なギターには目玉が飛び出るような値が付いたりするものなんだ。だからせめて、多少は扱いに慣れてから……」
「最初から一流のものを使うのも、悪くないかも知れないね」
「ああ、まだるっこしくないだろ」
「待て待て!」
 会話が一度転がり出すと、若さがそれを弾ませるのか、彼らはあっという間に長く見知った者同士のようになっていた。だがその様子は街のシルエットの中ではありふれていて、互いに軽口を叩きながらとりとめもなく歩く制服姿の男子学生達に目を留める人はいない。
 こうして若者の青春は、今日もどこかで消費されていくのだった。それが色鮮やかであるのか、色褪せたものであるのかは、あくまでも見方や見え方によって異なるに過ぎなかったが、まだ自身の顔付きすらも知らない彼らは、そんな事を知る由もなかった。
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