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『wizardryで物語る』 Appendix Story
001 セス・アビントン

「世の中、やらなきゃいけない事だらけさ」
 カイ・アイゲンは向かいの席でそう呟いた。酒場はいつだって薄暗く、その端の端にある僕達のテーブルにはより一層深い影が落ちていて、彼の表情はよく見えなかった。しかし、昼間の事を思い出しているような気が、僕にはしていた。
「時間が必要なんだ。ビショップってやつは、とにかく難しいのさ。普通の倍かかる。もちろん、俺にはやれる自信がある。だけど今迷宮に潜ったって仕様がないなんて事は、分かりきった話なんだよ。せめて僧侶魔法は扱えなきゃ戦力として数えられないし、必要な知識もまるで足りてない。……分かってるんだ。けど結局、毎日何も進まない。ともかく、こんな所で延々と仲間探しをしている場合じゃあないし、まして武具屋で日銭を稼いでいたって、何にもなりゃしないのさ……」

 僕がカイと出会ったのは、あの大通りの角にあるドジャー商店で、彼はそこで武具鑑定の仕事を手伝っていた。頭の良さそうな顔立ちだったが、その分だけ無愛想にも映る、塞ぎ込んだ感じの男だった。とはいえ、真っ昼間から買えもしない武器をぼうっと眺め続けていた僕も、その時にはもう随分と参っている様子に見えたろう。
 トランブルの町は若く、どこも落ち着きがなかった。辺境の小国ではあるものの、新興らしい活気が路地裏にまで満ちていて、ここでは誰もが豊かになる事に懸命だった。そんな気風が新しいものを次から次に呼び込むらしく、人も、ものも、文化も、何もかもがこの町にやって来て、そして巡っていった。
 気持ちが静まれば静まる程、それは混沌として感じられた。今日もまた、どこかで古い家が新しく背の高い建物に生まれ変わり、景色は力強く変化し続けていた。日をまたげば、女達は昨日とまるで違う流行を纏っていて、川では科学者達が夢見る自走船などというものが、ガシャガシャと凄い音を立てて人々の目を引いている。
 僕は、そんな混沌のただ中にいた。そして時たま、あの古い慣習に支配された町ナーグを思い返していた。それから、あの川沿いの屋敷に暮らす皆がどうしているのかを、考えていた。しかし貴族の跡目争いに嫌気がさして逃げるように家を捨てた僕には、故郷も思い出も今では遙か遠くの事のようにぼんやりとして思えて、何か居心地の悪さを感じるばかりだった。僕はずっと、そんな居心地の悪さを感じていた。この冒険者でごった返す店の中でさえ、そうだったのだ。
「よう、『弁舌屋』。お勉強は捗ってるか?」
 店内はかなり騒々しかった。しかし、それだけは妙にはっきりと聞き取れた。声の方には背の高い戦士の後ろ姿が見えており、そいつは彼に未鑑定の剣を差し出しているらしかった。
「はは、そう怒った顔をするなよ。しっかり頼むぜ」
 周囲にかすかな笑いが起きた気がしたが、それもすぐに雑然とした日常に飲み込まれて、後には鎧が擦れる音や目の前を行き来する人々しか残らなかった。だがしばらくしても、僕の目にははっきりとカイ・アイゲンの顔が焼き付いたままだった。いつも酒場の片隅にいる彼に、覚えがあったのだ。

「毎日酒場に顔を出す冒険者なんて、ろくなものじゃない」
 彼は頬杖を突きながら、吐き捨てた。
「だけど、みんなパーティを組むのに慎重になり始めてるんじゃ?」
「確かに、あのハルシュタインが迷宮踏破に報酬を与え始めてからは、方々の冒険者がこの国に集まってきてる。観光客気取りや、余所でとんでもない事をしでかした奴らまで。自分の背中を守るのに、怪しい連中を警戒するのは当然だ。まして変な噂が立ってしまっていたりすると、もうかなり厳しい。けれど、それにしたって町は未だにお祭り騒ぎだ。毎日酒場に入り浸って、ただの一度も声がかからないなんて、やっぱりそいつに余程の問題があるんだよ」
 それを聞いた僕は思わず変な顔をしたが、きっとこの暗さが上手く誤魔化してくれたはずだった。僅かに訪れた沈黙が、苦しい現状を強く突き付けていた。自信があったはずの剣術も、有名な教師に学んだロードとしての教育も、ここでは何の役にも立っていなかったのだ。
 この町に着いて一度だけ組んだパーティで、僕は手持ちの装備や金品を全て騙し取られた。それは城の前の看板を見ていた際に声をかけてきた男達で、今となっては冒険者だったのかどうかすら分からない。しかし、その後初めて酒場を訪ねた時には、既に田舎から出てきた『お坊ちゃん』の噂は誰もが耳にしていて、僕の周りには一種の白けた空気が広がっていた。
「……でも僕は、一緒に戦ってくれる人がいるのなら、どんな人とでも組みたいと思うんだ」
 両手で掴んだグラスの水滴を拭いながら、僕は顔を上げた。それからこのラフネックの酒場の隅の方を見渡して、幾人かの常連を見つめた。
「こんな事を言うから甘ちゃんなのかもしれないけど、僕に声をかけてきたのはいつも、騙そうって魂胆のある悪い人達ばかりだったから」
 そうして強がったつもりの苦笑は、少し寂しいものに見えたのかも知れない。カイは兄が弟にするような溜息をついて、残っていた酒を一気に飲み干してしまった。すると、ふとランプの明かりが強くなり、彼が不機嫌そうに眉を寄せているのが見えた。その目の光には、神経質な誠実さがあったように、僕には思えた。
「『死にたがり』に『殴り姫』、『死神』、『セイレーン』……。おまけに『お坊ちゃん』と『弁舌屋』か。本当、ろくなパーティじゃないぞ、こいつは」
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