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『wizardryで物語る』 Appendix Story
003 ジン・シンフ

「他人が人生を完成させていると思っているのだ。だから四六時中、繋がり合おうとする」
 迷宮から這い出た直後は誰もがありがたがる日差しにも、いい加減うんざりしてきたところだった。しかしメンダークスはこの暑さに一滴の汗もかいていないらしく、その肌も相変わらず透き通るように白かった。
「何もかもが離れていく。宇宙の始まりがそうであるように、分子からしてな。その事への強い恐怖があるから、人間は欲求し続ける。止めようとしても無駄だろう」
 どうにも、エルフの話というものは分からない。俺は通りの両端に並ぶ市場に目を向けながら歩き、肩をすくめた。
「にしたって、グレースの噂は知ってるんだろ? 最近のあの二人を見ろよ。あんたは前衛だからよく分かってないのかも知れんが、揃って仲良さそうに呪文唱えてるぜ」
「呪文連携は形になってきている」
「もちろん、そりゃ結構な事だ。しかしこの間のカイの顔、ありゃなかったぜ。ほら、陣形を変えた時だ。グレースは俺の後ろの方がいいと思うんだけど、どうだろう?ってよ。何を舞い上がってんだか」
「気にかかるなら、セスに話を通したらどうだ?」
「セスはよくやってるさ。だが、あのお人好しがこういう話に首を突っ込めるかね……。何にしても、今は面倒事はごめんだ。こんなパーティでも、やっと軌道に乗り始めてるんだからな」
「ふむ」
 こんなパーティが、軌道に乗り始めていた。しかし、にもかかわらず厄介な話はもう一つあった。日々こうして商売人達の元気な声を背に浴びながらも、あのおんぼろ宿屋に真っ直ぐ向かっているのが、まさにそうだ。
 実入りは安定してきているはずなのに、俺達の懐は寂しいままだった。原因はあの神経質なカイにあり、あいつがパーティの財布を握って、簡単な理由ではその紐を緩めないのだった。
 元々、冒険者としての素性が知られると町を移る事にしていた俺は、路銀が尽きていなければ、もうとっくにここにはいないはずだった。予定になかったこの長逗留が、今気に入らない訳ではなかったが、アテにしていた金が手に入らないのは面白くない。
 とはいえ、今日は少しだけ事情が違った。
「旦那、飲んでいくだろ? ほら」
「どうしたんだ?」
「さっき、やっとカイの奴から引き出したのさ。仲間との精神的交流にどうしても必要な経費ってやつで。大分しぶってたが、お前もどうだってしつこく誘ったら、苦い顔して渡してくれたよ。あいつ口は達者でも、実際的な行動にはてんで弱いからな」
 俺は金貨を弄びながら、機嫌良く笑っていた。だが、ふと行き来する人混みの中で見上げたメンダークスの表情は、ひどく奇妙なものだった。彼は突き抜けた青空と市場の天幕を目を細めながら見つめていたようだったが、その表情からは全く何の思想も感じられなかったのだ。それから少しすると、彼は何かに飽きたかのように視線を下ろして、さっさと一人で歩き出してしまった。
「……私は遠慮しよう」
「え、でも人間の酒だって悪くないぜ」
「すまない」
「お、おい」
 まさに、夏だった。汗は後から後から噴き出してくる。いつしかメンダークスの姿は向こうの方で小さくなっていて、俺はというと、まだ石畳の真ん中に突っ立ったままだった。

 浮いてしまった金で、梨でも買った。その内の一つを囓りながら、旧市街を歩いた。
 旧市街! こんな若い国に、旧市街と呼ばれるものがある。人間の面白いところだった。例の鉱脈の発見から数年でトランブルは急激に発展し、新たな城塞が次々と土地を飲み込んで、内側にいくつものつぎはぎだらけの町を残していた。
 砂っぽい路地、日に焼けた石の家々、痩せたオリーブの木。ここではそんなようなものが縦にも横にも入り組んで、歪な風景を作っている。道端にはところどころ、朽ちかけた荷車がじっとしていて、その車輪はひどく泥にまみれていた。
 遠くはいつも騒がしい。が、近くは常にひっそりとしていた。俺は目的のこぢんまりした平屋の前までやって来ると、隣から駆け寄ってきた犬がじゃれつくのを、梨をやったりして適当にあしらった。そしてこんな陽気には日当たりの悪さにも感謝したくなるものだと、短刀を拭きながらのんびりと思った。
「よう。また本を読んでたのか?」
「わっ。びっくり」
 盗賊なのだから、音もなく入るのはお手の物だし、それが常だとも言える。何より、ここではその必要があった。なのに彼女は、戸に背を預けている俺にいつも心底驚いて、それから少し照れながら笑って振り向くのだった。
「風邪、引いちゃったの。なかなか外に出られなくて」
「最近多いな」
「うん。寝たり起きたり。嫌になっちゃう」
 そう言って、そのちょこんとした椅子から勢いよく足を下ろすと、栗色の髪が柔らかく揺れた。それがまるで自分を元気付けようとしているかのように見えて、少しだけ可笑しかった。
 ノーム達のワンピースは質素だが、丁寧に作られている。彼女は今日もそれを着ていた。故郷からの、数少ない道連れなのだ。
「あら、梨ね」
「今剥くよ」
「ふふ、私がやるわよ。……あ、お髭生やしてるの?」
「無精髭さ。さっき戻ってきたところだ」
「パーティ、組めたんだ?」
「おかしな連中ばかりだけどな。でも、少しはやっていけるかもしれない」
「本当!?」
 彼女はいつでも、この澄み渡った「本当!?」を言えた。俺はそれを聞くとよく楽しい気持ちになったが、同時にうんざりするような事も少なくなかった。梨を手にニコニコしながら台所へ向かおうとした彼女が、改めてこんな事を言い出す時も、そうだった。
「ジン、ありがと……。また来てくれて」
 名前は、シャノン。こういうゴチャゴチャした町にありがちな、チンピラ共の寄り合い所帯を仕切る男の、妾だった。そいつは人間なのにノームの女を好む変態で、例によって乱暴、かつ力強く、常に何かを消費し続けていなければならないような奴だった。
 随分前から、シャノンはもう疲れ切っていた。だがこんな話はいくらでも、どこからでも湧いてくるように、このただれた状況から抜け出すのは容易ではなかった。しかも、これは全く不可解な事だったが、彼女はこうした自分の境遇への憎しみと一緒くたに、あの男への情というやつも持ち合わせているらしかったのだ。どうしてか、俺にはそれが分かった。
「自由になれたらなって、思うの」
 はにかみながら、シャノンはよくそう言った。俺も全く同感だった。だから、心にもない事を口にしてきた。
「なれるさ。ここは夢を叶えていく奴らの町だ」
「夢が破れていく町でもあるわ。たくさんの夢の跡が、町中にあるもの……」
 きっと、その通りなのだろう。
 シャノンはこの町を出たがっていた。まるで夢でも見るように、誰も自分を知らない世界を思い浮かべては、その生活を嬉しそうに語る事があった。そんな時、俺はいつも曖昧に笑っていた。そこにはやはり、楽しげな心と、うんざりするような心が同時にあったように思う。
 彼女は今、鼻の詰まった声で可愛らしい流行歌を口ずさみながら、食器を用意している。俺は部屋のベッドに寝転がり、肘枕をしながらその姿をぼうっと眺めていた。まだ夕方にもなっていない。しかし今にも町に飲み込まれそうなこの小さな部屋では、穏やかな暗さが過ぎていく時間をそっと押し止めていた。
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