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『wizardryで物語る』 Appendix Story
004 グレース・シャリエ

「毎日宝の地図と睨めっこしてるみたいよ。張り合いがあるわ」
 頭のベールを外して髪を掻き上げながら、カトリーナは言った。遅れて数本の前髪が、いかにも意志の強そうな二重の瞳に降りてきた。
「冒険者生活に何か不満でもあるの?」
「ううん、今は何にも。色々あったけど、やっとスタートラインに立てたんだし。でも、明日どうなるかは分からないでしょ?」
「そんなの、いつだって分からないわよ」
 涼しげな風に、彼女は目を細めた。
 太陽が傾けば、もう風が心地よかった。この時間になると、昼間の暑さと苦労を吹き飛ばすように、冒険者達が町中を歩いていた。まだ夕焼けの名残が向こうには見えていたけれど、この広い通りの両端には飲食店や屋台が多く、それらが争うように肉を焼き明かりを焚くので、その活気から身を引くように天は暗かった。
 中でも酒場の前には常に人だかりがあって、騒がしかった。お金がない時は、誰もがこうして外で安酒を飲むのだ。私達はそれをかき分け、あの立て付けが悪い木扉に苦労しながら、ラフネックの酒場へと入った。有名な扉だった。ラフネック迷宮の扉と呼ばれていて、いつ来ても昨日とは違う立て付けの悪さなのだった。いくら新しくしても酔った冒険者がすぐ破壊してしまうため、主が呆れ返って、その辺の路上住人に小銭をやって作らせているらしい。
 トランブル中心街の建物らしく、入り口は狭くとも中は広い。壁にはここにしかない匂いが染みついていて、外と同じくらい煩いはずなのに、扉を閉めると薄暗がりが不思議とそれを押さえ付けてしまった。一体どこから手に入れたのか、店奥には古めかしいピアノがあって、冒険者の一人が暇つぶしにぽろぽろと鍵盤を叩いている。私が目をこらして席を探す間、カトリーナは少し羨ましそうにそれを見ていたようだった。

「あ、カイ君!」
「ちょっと何、あいつ呼んだの?」
「うん」
「あんたって……、何でそういうのを先に言わない訳? 絶対言わないわよね?」
「俺も、お前が来るなんて聞いてなかったけどな」
「セス君も呼ぼうとしたんだよ」
「いないじゃない」
「声かけようとしたら、もう帰っちゃってたの。またジェネラスの酒場かな?」
「そうだろう。最近しょっちゅうだ」
「何そこ?」
「北地区の小さい酒場だよ。あの迷路みたいな路地にある」
「まるで反対側じゃない」
 そう言って、カトリーナはやっとボロ椅子に腰を落ち着けた。けれどしばらくは意地でも機嫌悪そうにしていて、やってきたウェイターにも当てつけのように大量の料理を注文した。
「言っておくが、パーティの金からは一銭も出さないからな」
「う、うるさいわね。お酒が不味くなるような事を言わないでよ」
「うんうん、仲良く飲もう?」
「それより、セスは何でそんな所へ行くのよ」
「そこで働いてる女の子に会うんだよ。少しは仲良くなったらしい」
「へえ?」
「可愛い子なんだっけ?」
「普通の娘だよ。大人しくて、花が好きで、時々情熱的な顔をする。歌歌いになりたがってた」
「よく知ってるのね」
「最初の頃、あいつに付き合わされたからな」
 繁盛する時間帯だった。この時間帯は、頼むものさえ間違わなければ、信じられないくらい早く料理が出てくる。カイは早速運ばれてきた大きな鶏肉を自分の方へ寄せると、几帳面に切り分け始めた。するとオリーブオイルとニンニクの香りが一挙に広がり、最後にローズマリーがスッキリとそれを締めた。皆、当たり前のようにお腹が鳴った。それを聞いて何を恥ずかしがったのか、カイは「あいつ貴族だから、上流階級で美しい女なんて飽きる程見てるんだな」と、何のフォローか分からない言葉で話題を繋いだ。
 とはいえ、冒険者の食欲の前に会話は無力だ。三人ともが黙々と食べ始め、気付かぬ内に次々と飲んだ。その間にちらとカトリーナの方を見たが、表情は普段と変わらないようだった。ただ、いつも本当に美味しそうにご飯を食べる彼女にしては、少しだけつまらなさそうな気もした。小さな男の子が、遊びの予定を失ったような、そんな風にも見えた。
 それで何とはなしに、地下二階でパーティが道を見失った時の事を思い出した。私は出来る事が見付けられずに、ただぼうっと突っ立って周りを見ているだけだった。カイは一人で自分の書いた地図を睨み付けていて、声をかけられる雰囲気じゃなかった。ジンはパーティから少し離れて床や壁を調べていたけれど、メンダークスは押し黙ったままで何を考えているのかさっぱり分からなかった。そしてセスとカトリーナは、二人で真剣に話し合いながら、情報を整理し意見を出し合っていた。
「セス君、一度灰になってから少し変わったよね。何々ッス、みたいなのがなくなったっていうか」
「元々そんな話し方じゃないじゃない」
「例えだってば」
「分かる気がするよ。自分が年少だから、どこか人を当てにしたところとか、遠慮してたところがあったものな」
「あの時なんかびっくりしちゃったもん。ほら、ルーターに履いてた靴を盗られちゃったって言った時。あれ絶対あげてたよね。可哀想だと思って」
「そういう甘っちょろさは変わらないわよ。それにまだまだ思い切りが足らないわ。見ててよく苛々する」
「いや、良い慎重さだよ。冒険者として必要になるギリギリのもの、ってやつだ」
「あら、あんたとは馬が合わないはずだわ」
「毒消しの一件、もう忘れたのか? 俺が出がけに買いに戻ったからこそ、解毒呪文も扱えないパーティが助かったんだろ」
「何回言うのよ、それ」
「お前こそ、あの時さんざ文句を……!」
 そんなようにして、グラスは進んだ。笑ったり、睨んだり、歯を食いしばったり、勝ち誇ったり、とにかく賑やかだった。すぐに声は大きくなり、身振り手振りも大袈裟になっていった。しかしある時、少し離れた席の会話で私達は注意を奪われた。

「必要なのは武具じゃない。地図だ。迷宮の敵ってやつを勘違いしちゃいけない。確かに魔物や迷宮生活者は恐ろしいが、本当の敵は迷宮そのものだ。そうだろ?」
「はあ」
「そこでこいつだ。先人の智恵。素人がマッピングしながら迷宮を歩くなんて、簡単に考えちゃあいけないぜ。誰でもまずは地図を買い、腕を磨いてから自分で探索するのよ」
「でも……、実はもう装備でお金が」
「待ってやるって。だから売り払っちまう事だ。考えてみな。実力と関係のないビックリ箱でおっちんじまうのが、一番くだらないだろ?」
 それは所謂、地図屋だった。迷宮の地図を売る商売、と言えばまともそうだが、ほとんどの場合は新米冒険者を騙す詐欺師ばかりだった。適当な地図でお金を巻き上げたり、酷いのになると偽の地図を与えて追跡し、罠に倒れたところを襲ったりもする。
「あんなのは、騙される方が悪い」
「そうね。あたしも昔絡まれたけど、武器より大切なものなんてある訳ないし、騙される要素なかったわ」
「その理屈とキメ顔はよく分からんが……」
 と、二人は言うものの、あの子達にとっては勉強代にしても高すぎると思った。下手をしたらそれで命を落として、ロストまでしてしまうのだから。私はぼんやりと、可哀想に感じる気持ちを転がすように、口を開いていた。
「セス君だったら、止めに入るかも」
「だから駄目なのよ。世間知らずで、お人好しで。ああいう商売には、大体どこの町でも面倒な手合いが付いてるんだから」
「むしろセスは騙される方じゃないか?」
「さすがにもう、そこまで馬鹿じゃないでしょ」
 そうカトリーナが肩をすくめて、嘆息した途端だった。長い黒髪をなびかせた背の高い女性が、彼らの席にふらふらと近付いてきたのである。
「ねえ、君。世の中には悪い人がたくさんいるのを知ってる?」
「おい、何だお前?」
「こういう酒場も同じでね。悪い人がたくさんいるのよ。おまけにここは外と違って、いい人ってのがほとんどいないの」
「か、カヤ……」
 遅れて後ろから、じとっとした目の女エルフが追いかけてきた。
「この地図見てみな? ここは階段表記のはずなのに、下の階だと何故か梯子みたいな構造になってるでしょ? そういうのは訓練所で教えられるはずだけど」
「あ……」
「はあ!? こ、こんな連中の話を真に受けるのかよ? この業界ってのは、相手を騙して、出し抜いて、陥れる事しか考えてない奴ばかりだぜ」
「そうそうそう、その通り。だから人の事なんか信じちゃ駄目よ」
「は、はい」
「お前! ……ただじゃおかないからな。背中に気を付けろよ!」
「あはは。あんたみたいなのがいるとね、酒が美味しくないのよ!」
 地図屋は元々怖い顔を、真っ赤にした。それから出口まで大股で歩いて行くと、例によって扉をひどく乱暴に閉め、消えた。しばらくはそのメキメキという不穏な音が響いていた。そして一呼吸あった後、残った面々は、それぞれ持ち前の無関心さで喧噪を取り戻していった。
 新米冒険者達も辺りをキョロキョロしていたが、居心地悪そうにお辞儀をして、慌てて出て行ってしまった。それにあっけらかんと手を振る女性のローブを、エルフがささやかに引っ張っていた。
「平気平気。あんな雑な地図売ってるのなんて、大した奴らじゃないって!」
 笑い飛ばしながら、彼女はどこから出したのか、ジョッキを一気に煽った。そしてすぐさま奥の席へと行ってしまった。
「……何、あれ」
「私知ってる。最近この町に来たパーティだよ」
「あれがか。確か、妙な噂もあったような……」
 私も、聞いた事があった。それは物騒な噂だったのだけれど、今のはどう見ても悪人には見えなかった。私達は顔を見合わせて、この事をどう捉えればいいのか、それとも別の何かを話そうか、しばらく考えを巡らせていた。そうして天井やランプ、カウンターの向こうやテーブルに付いた刀傷、そんなようなものばかりを眺めていた。
 すると突然、グラスの水面が大きく揺れた。ドーンと大きな音もして、そこにいた誰もが何か面倒な事件が起こるやもしれないと、入り口を注視した。
「……あ、花火だ」
 続く低音で、私が真っ先に思い出した。
「今日、勝利の丘で花火を上げるんだって。腕の良い花火職人が来たらしいの」
「へえ」
「なんだ」
「そうだ! ねえ、見に行こう!?」
 聞くや否や、二人ともが面倒臭そうな顔をしていた。でも私はお構いなしだった。どころか、何だか無性に楽しくなっていた。やる気のなさそうなウェイターを呼んでさっさとお勘定を済ませてしまうと、ほらほらと言って立ち上がり、それから二人の手を引いて言った。
「きっと私の部屋から綺麗に見えるから、そこで飲み直そ!」
「どこよ?」
「鷲獅子亭」
「あ、あんたそんな良い宿に泊まってるの?」
「うん?」
「ちょっと! 本当にお金は均等なんでしょうね!」
「当たり前だ! 俺だって驚いてる!」
「安くしてもらってるんだよ」
「何で!」
「何で?」
 二人の声が仲良さそうに揃って、それが可笑しくて私は笑った。町ではすっかり夜が深まっていた。花火が綺麗に見えそうだった。それから私達は、丁寧に舗装された道を早足に歩いて行った。そしてまるで友達同士のように、騒々しく、さして意味のない事々を話した。
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