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『wizardryで物語る』 Appendix Story
006 カイ・アイゲン

「帰り道で意味もなく強力な魔法をぶっ放すのは、未熟な冒険者の証だ」
 俺は、誰かの返事を期待した訳ではなかった。冒険者の口数などたかが知れているし、特に迷宮から帰る道すがらの沈黙は、誰もが必要とした一時だったからだ。案の定、言葉はこの浅い階層をしばらく彷徨った後、乾いた土壁に吸い込まれ消えてしまった。戦闘が終わり、皆が荷物を整理するガチャガチャとした音が残っているだけだった。俺は別段、気にしていなかったのだ。だからカトリーナが遅れてこちらを振り向いた時には、何か妙な気持ちがしていた。
「あんたさ」
 いつも分かりやすい彼女の表情が少しだけはっきりしないのを見て、妙な気持ちの正体はこれだと思った。すると、そんなもののせいで胸がザワザワしているのに腹が立って、俺は相手が口を開くのを見逃すまいと待ち構えた。
「そんな事、みんな知ってるわよ」
「なら、そうしろよ。迷宮では最後まで何があるか……」
「疲れてんの。出口はすぐそこだし、ぐちぐち言う程の事じゃあないでしょ」
「普段がそんなだから、いざという時になって頭を動かしても足りないんだ」
「は? 何の話よ?」
「ちょっとちょっと、二人とも」
 間に割って入ってきたセスは、この場を単なる食い違いに収めようと必死みたいだった。あいつは何とか笑みを作ってこちらを見ると、「ね?」と人懐こい顔をした。そんなように相手の目を見つめる事は、俺には出来ない。だからこうされると居心地が悪くなって、意識も感情も明後日の方向に逸らすしかないのだった。
 だが、この日はそれじゃあ終わらなかった。次の瞬間、俺は自分でも驚く程早く頭に血が上るのを感じた。
「ふん、強力な魔法も唱えられない奴が何偉そうに言ってんのよ」
「カトリーナ!」
 セスの慌てたような態度も気に入らなかった。俺は彼の肩を掴んで押しのけ、カトリーナを睨み付けた。
「お前はどうなんだ? 僧侶としてやる事やってるってのか? 必要な呪文もしょっちゅう唱え忘れて、挙げ句最近じゃセスに任せきりだろ」
「カイ、僕は大丈夫……」
「あたしは前衛なの。このメイスで何匹仕留めたと思ってるのよ」
「その武器だって、大金使って魔法を込めるくせして、ろくに効果も覚えちゃいない」
「じゃあ、あんたは覚えてるの?」
「自分のものはな。お前の装備に込めた魔法なんて、覚える理由がない」
「あんたは何だって、相手のやる事なす事に一撃加えてやらなきゃいられないのよ。せめてそれで賢くやりたいって訳。冒険者なら結果で語れっての。あたしは敵を倒してる」
「このパーティに僧侶は一人しかいないんだぞ!」
「うるさいわね、大声出さないでよ! 全員生き残ってるんだから、何が不満だっての? 大体、あんたがペラペラ喋ってる事なんてね、誰でも分かりきってるような事なのよ! それをこねくり回した言い方して、偉そうに人にばっか注文付けて」
「ちょっと慣れてきたからって、根拠のない適当な行動が多すぎるんだ!」
 その時、視界の隅でグレースが微かに肩を震わせた。彼女は今、困ったような悲しいような、そういう顔をしているに違いない。そんな事は分かっていた。しかし、問題は片付けなければならなかった。
「よく言ったものね、弁舌屋って。どんなに混乱した状況でも、口を動かすだけなら簡単だもの。それで仕事した気になられたんじゃ堪らないわ」
「殴る事に頭が一杯で、まともに呪文も使えない僧侶が言える事か? いざ必要になって蓋を開けてみりゃ、炎猿にLITOKANだ! 大方一番強いって理由で選んだんだろうが、自分の唱える真言葉の意味も知らないんだな、お前は!」
「あの時は、あんたこそ焦ってKATUなんて唱えてたじゃない! 呪文さえ止めればいいのに、大して使った事もないKATU! おまけに普段あんなにうるさく言う巻物は、肝心な時に切らしてる! 何が備えがあれば嬉しいなよ!」
「戦闘中ろくに回復もしない奴がよく援護にケチをつけられるな! グレースが生きてれば、あんな状況にはならなかったろうが! 彼女の魔法なら……」
「回復する暇なんてなかったでしょ!」
「お前はすぐそれだ。回復する暇なんてなかった! そうならないように対策した事あるのか? 先に詠唱しておくとか……」
「冗談言わないでよ。無事な仲間に回復だなんて」
「空壁呪文だって一回でも唱えたか?」
「それこそあんたらの仕事よ。そもそも最近苦戦してるの全部、後衛が動けてないからじゃない! 遅いのよ! 遅くて援護すら出来てない! ハイウェイマンに急襲された時も、前衛が食い止めた。この間のワーアメーバの大群なんて、あんたらがろくな呪文を唱えないからあたしがやられた!」
「解毒も回復もしなかったからだろうが!」
 迷宮は静かだった。少し黙りさえすれば、俺達の音など簡単に消えていく。着地点を失ったパーティもまた、そうやって失せるしかないのかも知れない。少なくとも俺の頭の中には、過去に何度か見た光景がまた広がりつつあった。その中でセスだけが諦めないでいた。まだ何も知らないからだ、俺はそう思った。
「僕は、全員頑張ってると思うよ。もしジンさんがいなかったら大変だし、グレースの火力がなかったら、知らない敵とは不安で戦えないんじゃないかな。それに、こうして迷宮を歩けるのはカイの描く地図が正確なおかげでしょ?」
「……ふんっ」
「長く潜っていられるのも、カイがその場で道具を見定められるからだって、カトリーナもこの前言ってたじゃない」
 セスがそう言うと、皆が俺に目を向けた。それはまるで、後はお前だけだと言っているかのようだった。しかし、今や俺に残された言葉はそこまで多くなかったのである。
「俺は地図屋じゃない。鑑定屋でもな」
 誰も、何も言わなかった。
 外に出てからもセスは付いてきたが、俯いていた。そして、やがて城門をくぐり広場までやってきた俺が立ち止まると、彼はおずおずと「ごめん」と呟いた。
「何を謝ってるんだ?」
 聞いてから、俺はうんざりとした。今は道端に転がる石を眺めるのもうんざりとして嫌だった。ましてこんな生真面目なリーダーや、情けない自分など、見るに堪えなかった。
「……分かってるよ。お前は悪くない。だから、今は何も話したくないんだ」
「あっ、カイ……!」

 天井は屋根の形に傾斜していて、部屋の奥へ行く程に狭く、暗くなっていた。正午になる前のこの時間までは辛うじて明かりが入ってくるため、蝋燭を点けなくても文字が読める。頼りない木机の上には分厚い書物が溜まっていて、俺は一人それを見ていた。手元の紙には几帳面で小さな文字が並んでいる。ここにあるのは、どれもこれも読みかけや書きかけのものばかりだった。
 理想や理屈を見付け出し、冷静そうに並べ立てて、それが大変だ大変だと喚いていたのだ。確かに、日々に追われていると言えなくもなかった。だがやれる事はもっとあったはずだった。現にそれをしなかったのだから、俺はこの状態に満足していたのかも知れない。
 あれから何倍も世の中というものの理解を深めたはずなのに、机上に広がるものには何一つ変化がないように見えた。自分が何をしてきたのか? そんな事をいくら考えても苛々するばかりで、じきにじっとしているのが嫌になった。
「カイ君、ちょうどよかった」
 下へ降りると、宿の女将が声を掛けてきた。この人はいつだって、ちょうどよかったと言う。しゃがれ声で、若い頃があったなどとは想像も出来ないような老女だった。彼女は開け放した入り口の近くに椅子を置いて動かず、ニコニコとこちらを見ていた。内臓が良くないらしく、顔は気味が悪いくらいに浅黒い。
 外からはまだ夏の気配が色濃い陽が差し込んでいて、扉の形に区切られた視界は、すぐ目の前の塀と、その上から顔を出す庭木の強い色彩に彩られていた。乾いた土と、褪せた緑と、澄んだ青空。それに目を細めていると、下からひょこっと黒髪の小僧が顔を出した。
「隣の商売人さんのところの子だよ。ほら、いつも忙しそうにしてるだろう?」
 彼女は当然こちらも知っているかのように話しかけてきたが、俺はこんな子供など知りもしなかった。だが思い返してみれば、確かにこの辺りで見かけるのは年を取った女と、子供くらいだった。小僧はこちらの会話にはまるで興味がないという様子で、粗末な靴を脱いではひっくり返したりしている。随分古いようだったから、すぐに砂が入ってくるのだろう。
「今日はお祭りなのに、この子は一人だからどこへも行けないんだ。こんな時期に突然だものねえ」
「祭りですか?」
「そう! 前倒しさ。今の王様は神聖な祭りも政治の道具だと思ってるんだよ」
 それから老女は溜息まじりに、最近内陸の国から使いが来ているのだという話を延々とし始めた。それは怒りではなく、嘆きに似た調子で、私はいかにも落胆しているといった話しぶりだった。彼女はいつもこうして、自分を精一杯賢く見せようとするのだった。そしてやたらに同情をばらまいては、まるで悲劇の番人か何かのように振る舞った。
「カイ君? もし暇だったら、連れて行ってあげると喜ぶと思うんだけどねえ」
「祭りにですか?」
「そう。親御さんは遅いみたいだし、いつも一人で遊んでて淋しそうでしょ?」
 彼女の言葉を追うように太鼓の音が遠くから聞こえたが、それもすぐに薄れてしまった。まるで路地に吹き込んだ風が、その音を攫っていったようだった。
 いつの間にか、小僧が俺の事をじっと見つめていた。彼は大きく茶色い瞳をしていて、何を考えているのかはまるで分からなかったが、年の割には高い分別がありそうな目付きだった。俺は、嫌な目をしているなと思った。しかしその瞳は、俺が目を向けている限りはいつまででもこちらを見つめてくるようだった。だから、俺はすぐさまそれを視界の隅に追いやった。
「……すみません、今日は用事があるんです」
 老女は「あら」と、いかにも残念そうに笑っていた。俺には行く先などなかったが、この中流階級と下層階級の卑しさを併せ持ったかのような小路からは離れたくて仕方がなかった。だがいくら歩を速めても、あの瞳は俺から目を離さないでいるように思えた。

 ドジャー商店の煙突はここからでも見えたが、足を向ける気にはならなかった。俺は今まで、あそこにいた頃はそれなりに上手くやっていた気になっていた。年長の職人達は乱暴な会話も多かったが尊敬出来るところも少なくなく、熱情か誠実さか、そんなものが彼らの両面のどちらかには必ずあって、俺はそこに強く共感していたのだった。しかしそれは、彼らの美徳を正しく理解する事によって、自分まで素晴らしくなった気でいただけとも考えられた。きっとそうして、大きな目標につま先だけを合わせ安心しきっていたのである。その証拠に、俺は今彼らと対峙したとして、彼らが自分に向けるであろう言葉を想像出来ないのだった。
 そんなように、頭だけが冴えていた。反面、心は空虚だった。その空虚さに導かれるようにして、いつしか町外れの痩せた土地を歩き、訓練所までやって来ていた。だが門をくぐっても人影は一向に見られなかった。剣戟の音も詠唱の声も聞こえず、まるで時間が一気に過ぎ去り、何もかもが寂れてしまったかのように感じられた。
 今日みたいな日にこんな場所へ来る者などいやしないのだ。俺は雲一つない空を見上げて、いかに盛大な祭りの音でも、ここまでは届かない事を知った。そうして、砂を被った雑草を踏みながら少し歩いた。すると、元々華やかな行事は好きでなかったから、これで丁度良い気もして、変に静かな気持ちになった。ぽつぽつと植えられたイチイの木が、余計にそうさせたのかも知れない。
「このような日にわざわざありがとうございます」
「いいえ、ご苦労様です。そうだ、祭りはもう見られましたか?」
「後は僧侶さんの方を行って、それから拝見しようかと」
「お連れの方など?」
「いえ、一人です」
「でしたら私の家族と一緒にどうですか? ご案内しますよ」
「本当ですか? それは嬉しい」
「お国のお話も聞かせて下さい」
「もちろんです。しかしこの辺りは旅の冒険者も多いのでは?」
「鍋底に焦げ付いたような話には飽き飽きしましたよ」
 このただ広い乾いた敷地には、八つの石造りの建物が建てられていた。どれも同じ大きさの二階建てで、間延びした広場を中央に全く均一に並べられたその光景は、利便性を考えたというより手間を省いたといった様相で、むしろ無造作な印象を見る者に与えた。石壁に見える穴は、光を取り入れるための大量の窓だった。板ガラスなんて上等なものはないから木の蓋が被せてあったのだが、今はまだ暑かったからそれも取り外されていた。扉も、ただ大きいだけの粗末な木だった。俺はそこに、知った顔を見付けていた。
 ブロンドを爽やかに切り揃えたその若い男は、俺がまだ内陸で先生に魔法を教わっていた頃の後輩だった。割合小さな教室だったから、人好きのするあいつは、よく俺にも笑顔で話しかけてきた。何でも器用にこなす奴で、彼のちょっとした仕草の中にも背筋のぴんと張った何かを感じたものだった。
 それが今でも変わらないのはすぐに分かった。俺はポケットに手を突っ込んだまま、風の向こう側にそれを眺めていた。そしてそのまま、彼らが連れたって木の陰に隠れてしまうのを待った。あれが役人になったという話は聞いていた。であれば、こうして他国の冒険者ギルドを訪れるような仕事を任せられるようになったとしても、不思議はなかった。あいつはあの頃からしっかりしていたし、今はそれが正しく大人になっているように見えたからだ。
 俺はどこか落ち着ける場所が欲しくて、やがて木が作る中途半端な日陰にそれを見付けた。腰を下ろすと、土は乾いていたが草はまだ辛うじて生きていて、痛みを感じずに座る事が出来た。

「どいつもこいつも頭の悪そうな顔をしている!」
 木の後ろから怒鳴り散らすような声がしたのは、一息吐いた直後だった。すると間髪入れずに、グッグッグとくぐもった笑い声が聞こえて、続いて臭いまで伝わりそうなゲップが響き渡った。後ろの男は、そのあまりに盛大なゲップが自分でも可笑しかったのか、より一層大笑いをした。
 やがて騒がしさは干からびるように静寂へと変わった。目だけ向けると、今度は木の幹からにゅっと太い腕が出てきて、その指が無言でこちらを呼びつけていた。
 俺はそのふてぶてしい態度に思わず顔をしかめたが、しかし無視を決め込む訳にもいかなかった。だから、せめて会話の中でつまらない立場を取られないように、出来るだけ不機嫌な調子で顔を出してやった。それから視線を下ろすと、そこに頑健なドワーフの老人がどっしりとあぐらをかいているのを見た。その男は酒をあおり、先程後輩達が去った方に目を据えていた。
「おい、ああいうのが人の上に立つと、どうなるか知っとるか?」
「……あれは何だって上手くやりますよ」
「だが兵隊は大勢死ぬだろうな」
 男はまた酒を喉に流し込んだ。上機嫌そうに頬を緩めているのに、時たま歯を食いしばって顎をイッとやるのは、酔った際の癖のようなものらしかった。顔は真っ赤で、ろれつもまともに回っておらず、時々無意味に笑ったかと思うとすぐさま大声で怒り出したりした。口の利き方はどれもこれも投げやりに聞こえた。
 こいつは破綻している、俺はすぐにそう思った。しかもその破綻を受け入れているんだ、と。そういう奴を、俺は憎んですらいた。だからすぐにでもこの場を離れたかった。が、この時はそうしなかった。そのドワーフは俺でも顔くらいは知っている名うての戦士で、冒険者達の言う確かな実力というやつを持っていたからだった。つまり「やる事はやっている」。そんな、俺をこてんぱんにした冒険者の倫理が、足を止めさせたのだった。
「この木を知ってるか? こいつは戦場の木だ。弓にすると特に良いが、他のどんな武器や兵器にも使える。おまけに果実から毒まで採れる」
 男は、その分厚い手の平でイチイの幹を撫でた。
「だが尊敬は、これが身を切られる事にのみ集中している。上手い死に方が、地面に張り付いていたこいつを何者かにしたのだ」
「あんたは、それが良い事だと……?」
 しかし彼は答えなかった。いくら待ってもただ笑みを浮かべているだけだったから、俺は不意に今日一日分の疲れを感じて、その場に座り込んだ。そして木に身を預け、溜息を吐いた。すると横でまたゲップが聞こえた。
「自分がいつまでも生きているなどと思うな。死に方を探し、上手く死ね。……白兵を尊び、様々な強襲で名声を築いた跳山将軍サークの言葉だ。わしは八百年前の戦場で直接聞いた。あの静かな戦争で、わしもまた一つ二つの部隊を率いていたのだ」
 老兵はそう言うと、もはやこちらなど見もせずに、朗々と古い世界の話を語り始めた。しかしその声は馬鹿でかくはあるものの、ドワーフ訛りが酷く、酔いもかなり回っていたために、半分以上何を言っているのか聞き取れなかった。ただ、それでも彼は満足げに口を動かし続けた。
 俺は最初、そのあまりに要領を得ない言葉と節操ない態度に苦々しい顔をしていたのだが、次第にそんな事はどうでもよくなっていった。その滅茶苦茶な力強さや、気っぷの良い身勝手さには、俺が持っていた理知だの正論だのといったものが全く役に立たなかったからだった。
 とはいえ、今更立ち去るのも億劫だった。だからそのまま並んで座り、俺もまた無責任に、時たま言葉を挟んだりする事にした。それはお互い言いたい事を言うだけの、本当に無為な時間だった。

 どうやら老人は、自分の運命をどのように支配するかに強い執着を抱いているらしかった。だから俺が地図書きとしての神経質な議論なんかをふっかけるとむず痒い顔をしたし、おまけに「選択した道が本当に正しいかをはっきりさせるために、最初は間違っていた方が楽だ」なんて言うと、派手に怒り出した。
「その二択三択なのだ! よく自分は十手も二十手も先が読めるなどと言う輩がいるが、そんなものはわしに言わせればくその役にも立たん。ここで行くか退くか。その判断力こそが常に求められているものなのだ!」
「俺だって本当は知ってるんですよ。迷宮の中じゃあ、セスみたいに動ける奴が役に立ってるんだって。俺は細かいだけで、ジンみたいな経験もない」
「しかし頭が良い奴は、自分だって捨てたものではないと考える。そこの具合が悪い。力点を変えれば何とかなると、いつでも信じ切っておるのだ」
 彼はそうやって会話めいた言葉を吐くと、瞼の重たげな目で昼の月を睨んだ。それから突然、遠くの友人の名を同情的に口にして、短く生えそろった髭をごしごしと撫でた。
「お前さんもあいつのように、頭で自分の全てを支配出来ると勘違いしているんじゃあないか? ……頭の考える事を聞き過ぎるな。あれもまた身の内だ」
「その友人は、どうなったんです?」
「……わしもまた窟世界で生きられなかった老いぼれだ。それを語る口は持たん。だが運命を支配するのは頭じゃあない。それは明らかだ。仮に人間達が好む魂とかいう存在があったとしたも、それもまた肉体の一部に過ぎないのだ。つまらぬ支配を受けるな。体を動かせ。そして死へ向かえ……」
 彼の目はもう閉じていた。そして口だけがぼそぼそと動いていた。それはほんの小さな声だというのに、言い方だけでうるさく聞こえるのが不思議だった。
「美味いものは美味い……」
「ええ」
「美味いものを美味いと言うだけで、ヒトは幸せだ。しかし、ならば何故我々は迷宮にいる……?」
「さあ」
「生きるだけなら、やりようがあったはずだ。お前さんは、武器を見つめていると妙な気分にならないか……? 戦っているのか……。逃げているのか……」
 やがて、呟きは寝息に変わってしまった。先程まであんなにやかましかったのに、その眠りにはいびきなど何もなく、いやに静かだった。そんな姿に、俺は死を連想した。そして自分がこのまま老いていく姿を思い浮かべていた。

「ゾフルちゃんー!」
 横の老人が跳ね起きたのは、こんな場所に似つかわしくない幼い少女が走ってきて、怒ったからだった。
「入り口を見張っておいてくれと頼んだじゃろ!?」
「おぉ! おぉう! 見張った見張った! 目をこんなに開いておった!」
「嘘こけ! この酒飲みが!」
 彼女はそのノームの身体には似つかわしくない巨大な鞄を背負っていて、それを揺らしながら俺の方をじろりと見た。
「誰だこれ?」
「これか。若者だ。反抗的ないい目をしているだろう」
「ふーん? さ、必要なものは揃ったから、次行くぞ」
「そうかそうか、そりゃよかった」
 少女にずるずると引きずられながら、ゾフルと呼ばれたドワーフはこちらを振り向いて、悪戯っぽく言った。
「北のノームでな。ちょいと変わり者なんだ」
 そうして、二人は嵐のように去って行ってしまった。
 それからしばらくして、俺は夏の虫が名残惜しそうに鳴いている事に気が付いた。まだ日は長かったが、季節の終わりが近付いていたのだ。すると、何か自分がここに取り残されてしまったような、寂しい気持ちを覚えた。

 宿がある小路まで帰ってくると、入り口にカトリーナが立っていた。彼女は白のブラウスに青いロングスカート姿で、何故か例の隣の小僧と遊んでいた。その時の小僧は抜けた歯を見せながら楽しそうに駆け回っていて、全く少年らしい顔だった。しかしやはり、それは俺が見た途端に失われてしまい、思慮深い、こちらを伺うような瞳だけがそこに残ったのだった。
「よ」
 カトリーナは手を軽く上げて言った。俺は目を少し脇へやって、「おう」とだけ答えた。
「ほらお前、もう帰りな」
「えぇー」
「家に居ないと怒られるんでしょ? その巻物、お母さんに見付かるなよ。取り上げられちゃうぞ」
 パンパンと彼の尻を叩きながらあしらうカトリーナは、子供の扱いに慣れているように見えた。子供もそれを感じるのか、それ以上駄々をこねる事もなく、素直にその短い手を振って別れを告げた。最初俺はそれに感心していたのだが、小僧の手に握られていたのが本物の巻物だったのを見て閉口した。
「おい、何をあげたんだ」
「稲妻の巻物」
「攻撃魔法じゃないか!」
「だって格好良いやつが欲しいって言うんだもん。いいじゃない、お祭りにも行けなくて可哀想だし」
「そういう問題じゃない。危ないだろ!」
「どうせ使えないわよ。本当、つまんない奴ね」
「俺がつまるかつまらないかじゃない。お前がしっかりしてないんだ。大体……」
「待って。今日の事なら聞きたくないからね」
 こいつは以前から、意地でも自分の非を認めない奴だった。いや、冒険者というものが元々そうなのだとも言えた。互いに命を預ける身だから、言葉で何を言おうがそこに価値を認めないのだ。逆に謝って済んだと思われる方が恐ろしい、そんなように考える者も多かった。
 だが俺はどうしてもそうは思えなかった。だからずっと、間違っているものを間違っていると言い続けてきた。俺は、そう言わなければならなかったのだ。
「……セスに言われて来たのか?」
「場所はあいつに聞いたわ。こんな安宿だったのね」
「借りる宿なんてこれくらいでいい」
「お金あるんでしょ。良い色の服着てるじゃない。そういうのがケチくさいのよ」
「俺はケチじゃない。全部考えて……。お前、文句言いに来たのか?」
 言われたカトリーナは交差させていた足を入れ替え、わざとらしく鼻の頭をかいた。小路は細いのに真っ直ぐ続いていて、彼女の向こうからは微かな朱色が差してきていた。埃っぽい場所だから、光は何本かに分かれてはっきりと見える。
「さっきの子ね、弟が二人いるんだって。まだ小さいのよ。だから構ってもらえないのね」
「そりゃあ仕様がないな」
「ええ。だけど子供がそんなの受け入れられるはずがない、って思った事ない? ある日突然、自分よりも大切な奴が家の中に増えるなんて、理不尽じゃない」
「受け入れる他に何が出来る? どうあがいても弟達はいるんだし、いずれにしたって、いつまでも自分が一番って訳にはいかないんだから」
「あたしが言いたいのはね、それでもあの子はまだ幼いって事なのよ。だから何て言うか……、それはやっぱり優しいんだと思うのよ。優しくなきゃ出来ないって」
 光の在所に興味を持ったかのように、彼女もふと向こう側を向いた。するとその先に続く建物や植物と共に、彼女自身も夕焼けの中でその姿を暗く切り抜かれ、この街並みに取り込まれてしまったかのように見えた。
「あんたはいつも理屈で何とでもなると思ってるけど、それはきっと、あんたが恵まれてるからなのよ。あんたはお客様みたいに生まれたから、どうにもならないって事や、何の理由もなく残酷である事なんかとは、無縁だったんだわ」
 そう言ってから、カトリーナは自分の幼少時代の話を始めた。彼女らしい、喧嘩腰とも思える枕詞だったが、腹は立たなかった。冒険者は普段、決して自分から昔語りなどしないからだ。つまりカトリーナが口にした過去とは、今回の一件は自分が折れてやるという、意思表示なのだった。
 だが彼女は決して、悲愴な態度を見せなかった。一人で町を歩いていた時に、町行く人がカトリーナと名前を付けてくれた事などは、本当に嬉しそうに話した。それが私が手に入れた最初の宝物なのだと、彼女は影と夕陽の中で高らかに言った。それから自分にはたくさんの家族と、広大な家があったと、自慢げに胸を反らした。すると唯一着飾っているブローチが、美しく輝くのだった。
 身を引き取られた寺院について話す時は、大抵怒っていた。彼らの唱える救いだの信仰だのが嘘っぱちである事を、彼女はずっと前から知っていたのだ。自分が飢えや渇きや痛みから助けられる度に、大勢の家族達が見捨てられている事に彼女は義憤を覚えていった。しかし自分は兄弟の病気を治すために自ら捕まったのだから、暴れ回ったり罵ったりしないように、出来るだけいつも一人きりでいて、必死で教えを請い続けたのだった。だが彼女の抱える事情は最後まで特例とは呼ばれず、ただ時だけが過ぎて、何も救えなかった。
「それで飛び出してやった」
 彼女はカラカラと笑った。そしてほんの少し黙った。
 その横顔を見た時、俺は自分を育てた母の事を話そうかと一度考えたのだが、結局やめてしまった。代わりに、「茶でも飲んでいくか?」などと言った。それが何とも間が悪くて、自分で自分が嫌になった。しかしこんな言葉を探すのでも、俺には精一杯だったのだ。
「いらない。どうせ出がらしでしょ」
 だからいつもは気に食わないこうした遠慮のない態度も、今は少しだけありがたかった。俺は苦笑いをして、肩をすくめ、宿に入ろうした。
 だがそれを、カトリーナが「ねえ」と呼び止めた。振り返ると彼女は、一層強まった朱色に頬を染めながら、鋭い眉をハの字にしたり、口を尖らせたりしていた。それから「あのさ」と言いづらそうにこちらを見た。そこで目が合って、俺は自分が変な汗をかいているのに気が付いた。それに気付いてから、恥ずかしくなった。
 しかし次の瞬間には、俺は更に恥ずかしい思いをして頭を抱えていたのだった。
「お金」
「え?」
「お金、貸してくんない?」
「はあ?」
「いやね、メイス持ってドジャー商店に行ったんだけど、気付いたら一文無しになってて。比喩じゃなくてね、一文無し。あはは」
 言ってから彼女はスッキリしたように笑っていたが、俺は信じられないといった様子で口を開けたままだった。それからハッとして怒ろうとしたものの、このあまりに間の抜けた絵面ではそれも容易ではなかった。「お前な!」なんて言い出したはいいが、顔は全然締まらなかった。するとそれを見たカトリーナは、今がその機だとばかりにまくしたてるのだった。
「そういえば今日って祭りでしょ。何だったらご飯おごってくれてもいいんだけども。ほら、祭りなんだし? ここの収穫祭って言ったら野菜に肉に凄かったっけなあ! それに、ワイン! 全部超大盛りだったわね? 何せ祭りだから」
 俺は腕を引っ張られながらも何とか頭を整理して文句を吐こうとしていたが、彼女の言い分を次々と聞く内に、いつしかそんな事々は皆すっ飛んでいってしまった。何せ全ての理屈は「祭りだし」の一言に集約されているのだから、考えるだけ全くもって無駄なのである。
「それにしても参ったわよ。ドジャー商店の魔法付与って、まさかわざと悪いの込めてないでしょうね? あんた働いてたんでしょ?」
「俺は知らないよ。だけど、そういう噂はいつだってあるものさ」
「やっぱりそういうものかしら」
「そういうもんさ」
「にしても、今日くらい気合い入れてサービスしてくれてもいいのに。だって祭りなんだしね」  自分でも馬鹿馬鹿しくなってきたのか、カトリーナは笑っていた。ひょっとすると俺もそうだったかもしれない。しかしもう、あまり気にしていなかった。どうせ明日になれば、祭りは終わるのだ。だから今日くらいは、これで構わなかった。
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