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『wizardryで物語る』 Appendix Story
彼らに纏わる話 030

亡霊達の街に居を移しても、アンディは泣きませんでした。
泣けば、アイリーンに怒られるからです。
脱獄王バルチックの最後の日誌を見ても、アンディは泣きませんでした。
泣けば、彼の生がひどく淋しいものになってしまう気がしたからです。
それではあんまりにも可哀想だから、アンディは涙を堪えたのでした。

「つまりそういう事だ。お前は今、そうであって欲しいと望んだ。だがそれと同じように、ヒトはどこかでこんなような死を望んでいるのさ。うらぶれた冷酷な死が、どこかに転がっていて欲しいと」

ゾフルが言った事は、アンディにはさっぱり分かりませんでした。
この迷宮に散りばめられた脱獄王の日誌は、心細い時間を過ごす少年にとって、孤独を彩ってくれる戦友のようなものでもあったのです。
四苦八苦しつつもこの地下を生き抜こうとする、しかしどこかとぼけたこの先人の生きた証は、時に彼を安心させ時に彼を勇気付けてきました。
ですが、心躍らせて文字を読んだ頃には既に、そのヒトは冷たい地面に横たわっていたのです。
それが悲しくて仕方ありませんでした。

「よし。見ろ、こいつを。儂はより大きい敵を倒したいと願った。だから儂の手にはこれがある」
ゾフルは巨人殺しと名付けたガントレットを磨きながら、アンディに語りかけました。
「だが既に巨大な戦争は絶えた。どんなに華麗な飛竜乗りであっても、争いがなければ地べたで生きる他はない」
「親爺さんは、どうして戦いたいんです?」
「戦いは、不毛でいい。目的や誇りなど存在しなくていい。……しかし、ヒトは戦場では故郷を想い、故郷では戦場ばかりを想う。分かるか? 童、お前は何を待っている? 砂糖菓子でも欲しいのか? 上にいた時は、何を望んでいた?」

ゾフルは不思議そうな顔をするアンディを、自分の胡座の中心へと抱き寄せました。
それから剣を水平に持ち、彼と同じ高さに顔を落としました。
「見ろ。職人が作る水平や垂直とは、決して物理的な水平や垂直ではないのだ。ヒトがそう見えるように、わざとへこませたり、傾斜させたりする。彼らは物差しの直角も信じない。手に入れると、まず自分達で直す」
もちろん、アンディはその意味をはっきり理解した訳ではありませんでした。
しかし純粋な好奇心から、「へええ」と感心し、彼は少しだけニッコリとしたのです。

ゾフルはこんなように、よくアンディに話を聞かせました。
そしてそれは、彼が迷宮の住人達に聞かせるような強い戦闘哲学、つまり既に軍人としての矜持を失った戦闘狂による、他人が手出し出来ない戦略や戦術論とはどこか異なっていたのです。
アンディは、彼の話を聞くのが嫌いではありませんでした。

いつの間にか温かさの中で寝入ってしまっていたアンディがぼんやり目を覚ますと、ゾフルは胡座の状態のままで、自分を包むように眠っていました。
戦場で生きてきた彼は、いびきをかく事が決してありません。
寝息すらも注意しないと殆ど聞こえないのです。
「まるで死んでるみたいじゃろ」
いつかオクサナがそう笑っていたのを、アンディは思い出しました。
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