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『バズー!魔法世界を詠む』 これまでのあらすじ
『テオの日記』 - 011

2015/03/25 WED

朝は早く目覚めた。
出発を急がなくてはならなかったけれど、その時はまだ陽も昇りきっていないヒンヤリとした朝だった。
僕はそっと宿の部屋を抜け、外の風景の中で考えていた。
一夜明けても、自分が帝国の後継者などという大層なものになりきれるはずはなかった。

この世界にはいくつもの神がいる。
確かに、ファル神の言葉には絶対的な威厳が感じられた。
だけど僕は子供の頃からラルファンの地で創造神フェスターの言葉を教わってきたし、古い帝国もまたフェスター神の庇護を受けていたと聞く。
そして水の女神パルが見せた、あのベラニード族の女性と共にいる光景が、今深い青色をした空に浮かんで見える気もした。
僕は一体、誰にどこへ導かれているのだろう?

「さあ、時間がない。すぐ出よう」

馬車の中はロマールの声で賑やかだった。
あいつはフェールが騎士団長の弟と知ってから、オルフェア様の逸話をねだってばかりだ。
一方僕は、ふとワタール帝国へ大使として旅立ったお爺ちゃんの事なんかを思い出していた。
五年は戻ってこられないだろう、なんて言っていたけど、そろそろあの懐かしいハイブレスに帰ってきているかも知れない。

途中寄ったルメルで、フェールに迷宮を照らす変容レベル1のサンブラストと、状態異常を治療する生命レベル2のフリーダを習得してもらった。
覚えられる呪文がたったの六つだなんて言うから、グールやテンタクルは諦めた。
裁きの塔で長く戦った結果、彼に瞬発的な戦力価値がない事は明らかだ。
だから便利屋として付いてきてもらって、僕の伝説を詩にする事に集中してもらおうと思う。

サーセス帝国の首都サール。
以前は門前払いだったサーリア城は、しばしの沈黙の後に僕達を中へ招き入れた。
巨大なホールでは美しい音楽が流れ、人々がダンスを踊っていた。
その華やかな人混みを左右に避けさせて現れたのが、大臣を名乗るガインだった。

「取り急ぎ、陛下にお伝えしたい事がございます」
「我が帝国は、ラルファンの同盟国デュエルファンと敵対関係にある。それを承知かの」
彼はセラスの魔術師と名乗った僕達を無表情に眺めてから、口だけを動かして答えた。
それに食らいつくのは、我らが猪突猛進騎士の役割だ。
「今はそのような事を言っている時ではない!」
「随分口の悪い奴じゃのぉ。……この者が陛下に申し上げたい事があるそうじゃ。陛下はどこに行かれたのかの」

男の態度は変に落ち着いているとも、こちらをおちょくっているとも見える、妙なものだった。
まるでその挙動全てが演技とも思えた。
皇帝陛下は、「退屈した」と部屋に戻ってしまったらしい。
ガインは兵士に一つ二つ指示を出すと、自分に付いてくるように言った。
妙に手応えのないやりとりにロマールは少し困ったような顔をしていたが、僕達は広大な城内を歩き続け、やがて皇帝の前へと通された。

「ザインより神託を受けました。ベラニード族のイアルティス攻撃が迫っております。ベラニード族に対抗するため、サーセス軍を出して頂きたいのです」
「それは容易ならぬ事だな」と皇帝は答えた。
その横では無表情のガインがぴったり寄り添っていて、相変わらずどこを見ているのか分からない、そんな目付きをしていた。
僕が更に前へ出て決断を仰ぐと、皇帝はガインにどうすればいいかを尋ねた。
ガインは抑揚のない声でそれに答える。

「このような話は、我が国を陥れようとする陰謀。この者達は、デュエルファンの回し者に違いありますまい」
「言わせておけば! 騎士を侮辱しおって!」
「お待ち下さい。この方こそ正当なるガゼルファン帝国の後継者。このガゼラのティアラが何よりの証拠です。……ザインの神託を信じないのですか?」
ロマールと違い冷静なフェールが放った言葉に、皇帝は僅かながら目を開いた。
「おぉ、真に……。偉大な血筋が蘇ったのか!」
「陛下、騙されてはなりません。我がサーセス帝国は、ガゼルファンとは何の関わりもない。そのようなガラクタで騙される陛下ではないわ!」

きっとそうなのだ、と僕もまた他人事のように思っていた。
古代の帝国ガゼルファンは後にラルファン、ネーファン、デュエルファンに分裂した。
大災厄によってイアルティスの地は大幅に縮小したものの、水没した大地はガゼルファン帝国のものがほとんどで、数ある他国は今もその血筋を途絶えさせていない。
栄華を誇った古代帝国はその功績と大災厄という結末ばかりが語られ、僕もそればかり学んできたけれど、他国にとっては一体どんな存在だったのだろう?

あの神託を受けてから、僕はどこか目の前で起こる事すらも他人事のように感じられてしまい、上の空だった。
不届き者達をひったてい!と大臣のガインが叫び、ロマールが抵抗する声を聞いた時も、そんな気分だったのだ。

「全く、何という事だ! 誇り高い騎士を牢にぶち込むとは!」
「何だ、初めてだったのか?」
フェールは事も無げに言う。
騎士団長オルフェアの弟である彼もまた、数々の修羅場をくぐり抜けてきたらしい。
……チルとリカヴァで。

「当たり前だ! 貴族は幽閉される事はあっても、平民のように牢に繋がれる事はない」
「どうしようか。急がなくちゃならないのに」
「牢屋というのも、なかなか良いもんだよ」
「こんな暗くて信じられないような臭いのする穴蔵の何がいいと言うんです!」
「例えばだね、そんな所に扉があって、友達がパーティに誘いにきたりするところがだよ」

フェールの意味深な言葉と同時に、ロマールが寄りかかっていた壁に吸い込まれた。
そこから現れたのは、何とあのミレーヌ姐さんだ。
この人、僕に向かって探索に行く時は連れて行ってねと言っておきながら、四年も何をしていたのか!

「ハイ! 元気だったかしら? サーリア城に入るには、最悪の方法だったわね」
「君に会うには、この方が手っ取り早いと思ってね」
「まあいいわ。付いてきて」
不適な笑みを浮かべた彼女は、暗い通路を通って僕達をとある部屋へと案内してくれた。
「話は聞かせてもらったわ。今の陛下はガインのお陰で皇帝になれたようなものだから、逆らえないのよ」
「ミレーヌ。君は何者なんだ?」

我慢出来ずに口を開いた僕に、彼女はほんの少しの躊躇の後で語り始める。
「……十年前、セラスにいるスパイから『テオドール計画』という謎の計画の存在が報告されたの」
「テオドール計画……?」
「私達は待ったわ。……そして、あなたがセラスを訪れた。だから私達は、何が行われているのか見極めようとした。つまりは、そういう事よ」

「私達を騙していたのか!」
彼女がサーセス帝国のスパイだったと知り、ロマールは反射的に剣に手を掛けようとした。
フェールがそれにやんわりと答える。
「おいおい、失礼な事を言ってはいけないよ。この方は皇帝陛下の妹君だからね」
「何だって! 何故王族がスパイなんかするんだ」
「どこの国にも、伝統芸はあるさ。ラルファンが魔術なら、サーセスは諜報という訳だ」

ロマールと目を見合わせた僕は、意を決してもう一度テオドール計画の名を口にした。
だがミレーヌは「それは責任者に聞いた方がいい」とかわし、フェールは「セラスに着いたら必ず引き合わせる」と言っただけで、今は取り合ってくれそうもなかった。

暫しの沈黙の中で、僕はあの十六歳の誕生日に起こった出来事を思い出していた。
その日突然家を訪ねてきた、父の盟友ナッシュおじさんの告白と、そこに居合わせたフェールの表情を。

テオドール計画……。
今はまだ、推測する事しか出来ない。
僕の美しい名を冠せられたという事は、僕の美に関する事というのは間違いないだろう。
まさか僕の美を保存量産でもしようというのか?
僕の美は僕だけが持ち、僕が生きて動く事によって真価が発揮される。
平凡な人々はそんな事も分からないのだろうか!?
そんなあまりに美しい心配は、フェールによって中断させられた。

「さて、お姫様。我々は何をすればいいのかな? こんな手の込んだ方法を取ったんだ。何かやらせたい事があるんだろう」
「ガインは、サーセス軍を釘付けにするために送り込まれた、ベラニード族の手先よ。サーセスのために、ガインを倒して欲しいの。……その代わり帝国軍を送るわ」
その瞬間、国家レベルの取引が僕達四人の中で行われた。
「奴は今皇帝の部屋にいる」
しんとした部屋に彼女の声が響く。
戸惑いや逡巡を待つ間もなく、行動は開始された。

「……陛下、すぐにでもあの魔術師を処刑致しましょう」
「そうはいかないわよ、ガイン! それとも、ベラニードの手先と言った方がいいかしら?」
狼狽える皇帝を前に、僕達は衛兵達との戦闘に突入し、それを簡単に蹴散らした。
するとガインは咄嗟に退こうという様子を見せたが、そうはさせまいと回り込んだロマールの宣言が、周囲の動きを張り付かせる。
「一騎打ちだ!」

本当馬鹿。
魔法防御が不得手なのに、それを全部真正面から食らいながら相手に突進していくその姿も、馬鹿騎士そのもの。
でもそんな馬鹿な姿を見てガインも勘違いしたのか、ひとまず逃げるのを止めてくれた。
すると筋肉お化けは黒焦げになりながらも、敵を切り伏せてしまった。

「皇帝陛下! イアルティスのために協力して下さい」
僕は即座に向き直り、言った。
半ば脅迫めいた緊張感が張り詰めていたけれど、ミレーヌがそれをフォローしてくれた。
「お兄様、すぐに軍を編成しますわ」
「おぉ、おぉ、ミレーヌ。そなたが言うのなら、確かな事じゃ。軍の指揮は任せたぞ」

そうして僕達は、すぐにデュールへ向かう事となった。
早速気持ちを切り替えて自分の仕事を始めるミレーヌと、「イアルティスのために頑張ってくだされ」と人の良さそうな顔で言う皇帝に見送られて。

海からの風に吹かれながら、フェールがサーセス帝国について教えてくれた。
あの国の諜報力は絶大で、魔法大陸の長い歴史をそれで生き抜いてきた。
それは町の魔法屋で探査魔法が多く取り扱われている事にも出ている、と。

サーセス帝国の協力を得られたからには、デュエルファンにも首を縦に振ってもらわなくてはならない。
まるでその存在を誇示するかのような巨大なデュール城の城内で、僕達は立ち止まった。
顔をこわばらせる僕とロマールに、フェールが言う。
「まあ、ここは私に任せたまえ。デュエルファンは得意なんだ。特に王宮となると堪えられない」

衛兵達にさすらいの詩人殿と呼ばれ歓迎されていた彼は、余裕の表情を見せていた。
世界中を旅していた彼なのだから顔が広いとは思っていたが、やっぱり何かそれ以上の人脈を持っているらしい。
謁見の間で顔を合わせた国王は、嬉しそうに目を細めた。

「おぉ、フェール。久しいではないか。英雄の詩でわしを慰めにきたのか?」
「慈悲深き陛下! イアルティスの危機をお知らせに参りました。私、遙か東の果てザインの裁きの塔より、四十日の道のりを十日で馳せ参じました」
「何と危機とな! して、高名な詩人殿を十日で走らせるとは、其は如何なる危機か?」
「ベラニード族が、イアルティス中を火の海にせんと策しているのです」

ベラニードと聞いた瞬間、国王のみならず周囲に控えていた騎士達が色めきだった。
それはかつて人間がベラニード族と対峙した歴史が騎士の活躍によって彩られたものだからで、ベラニードを地下世界に封印したあの騎士の時代を、彼らが忘れていないからだった。
しかしベラニードは長い時をかけて徐々に封印を破り、今や世界中で暗躍している。
それを知らずにいた彼らは眉をひそめた。

「お疑いになるも無理はありません。が、この聖戦を前に、ザインの神託はガゼルファン帝国の皇帝を蘇らせました。この方こそ、ガゼルファン帝国の正統なる後継者、テオドール様です! このガゼラのティアラをご覧あれ!」
「私が、テオドールです」
「皇帝陛下は途中サールにお寄りになり、サーセスの皇帝に声を掛けられました。陛下のご威光にひれ伏したサーセスの皇帝は、ベラニードに対するため、十万の兵を約束しましたぞ。デュールの騎士陛下は、この戦いに加わりましょうや!」
フェールの朗々とした声に、全員が乗せられていた。
こういうところだけは上手いんだ、この男。

「戦いを逃げるは騎士ではない! 女子供のする事よ! すぐに軍団を招集せい!」
国王の声明は広間に響き渡り、控えていた騎士達が一斉に伝令のために、そして戦の準備のために走り去っていった。
烈風が吹き去った後のように、僕達と国王と后の五人は落ち着かない静けさに包まれた。
少ししてから、国王が口を開いた。
「フェール……。今回は乗せられてやろうぞ」
「ふっ。それではこれにて。ネーリアでお会いしましょう」
「ガゼルファンの陛下も、お元気でな」

僕は軽く頭を下げただけで、言葉を返す事はしなかった。
王の眼が簡単な返答を許さなかったのだ。
この騎士王はガゼルファン帝国の復活を完全に信じた訳ではないが、今は世界のために協力してやると言外に宣言しているようだった。
そして仮に僕が本当に帝国の皇帝だったとしても、手放しで従う訳ではない、とも。
各軍が集結するのは、地下帝国の真上と言われているネーファン王国の首都ネーリアだ。

僕達は一旦、デュールからセラスへと船で戻った。
港には既に海軍の戦力が集結し、海賊とも渡り合うような血の気の多い水夫達が声を張り上げていた。
町にも、緊迫感が漂っている。
ベラニードやオークが攻めてくるらしいと市民が噂し、戦時下において魔法学校が閉鎖されるという話まで上がっていた。

魔法学校に向かった僕を迎えてくれたのは、ランダル師匠だ。
師匠はもう大抵の話を聞いているのか、何も言わずに僕を見つめ、「最後にクリストローゼを伝授する」とだけ言った。
召喚魔法は既に失われたレベル8のブレースを習得している僕だけど、現代魔法研究における最高峰レベル7を教わるこの瞬間は、少し感慨深かった。

巨大な十字架を出現させ、邪悪な生物にダメージを与えるクリストローゼ。
召喚魔法の本質は霊的な存在や、邪悪な存在に対抗する、異質な位相なのだ。
物理攻撃では捌ききれない敵を蹴散らすこの術は、ロマールとコンビを組む僕にとってはとても有用なものだったのかも知れない。
この学校へ来て、ふざけた試験を突破したあの日、ランダル師匠の教室を訪ねてよかった。

「もう、わしに教えられる事はない。テオドール、お主は良い弟子であった。本当に良い弟子じゃったぞ」
先生、と口を開こうとすると、ランダル師匠は目を脇にやった。
そして「もうよい。行くのじゃ」とだけ言って、また机に向かってしまった。
学校を出る間際、生徒達が授業を受ける様子が目に入った。
過ぎた日々は遠く、これから起こる事々も全ては過去に、微かな歴史になっていく。

騎士団を訪ねていたロマールとフェールと合流し、セラス城に向かった僕らを待っていたのは、何とあのナッシュおじさんだった。
セラスの魔術師長ナルメア・シェン。
亡き天才魔道士であるリカルドの盟友。
つまりこの人こそが黒幕だったのだという事を、フェールが横で教えてくれた。
そして彼は、「私も一枚噛んでいたがね」と笑った。

「気を悪くしたかね、テオドール」
「騙すとは汚いではありませんか!」
他人事なのに噛み付くロマールを、後からやってきた騎士団長オルフェア様がたしなめた。
この歴戦の戦士もまた、父さんやナッシュおじさんと共に旅した一人だ。

「いいんだ、ロマール。魔術師になる事を望んだのは、私なんだから」
「テオドール……。だが……だが……」
僕の言葉にも納得し切れないでいる彼を無視して、ナッシュおじさんは城の最奥部へと僕達を案内していった。
そして神妙な顔付きをしてから、話を始めた。
「君達にはすまない事をしたと思っている。私達の代で終わらせるつもりだったのだ。しかしリカルドを失った。君しか残されていなかったのだよ」
「私である必要があったのですか?」
「BAZOE!」

ナッシュおじさんが発した文字列が、その場の時間を止めた。
そして彼は言葉を続け、フェールがそれを継ぐ。
「いや、バズー!と言った方がいいだろう。この名は聞いた事があるね。ガゼルファン帝国は、バズー!によって奇跡の魔法文明を誇っていたのだ。大災厄でパメラの都が失われた時、君の祖先は、バズー!の欠片を携えて、ラルファンに逃げてきた」
「それ以来、セラスにバズー!の欠片が保管されているようになった。ところが、バズー!の欠片に触れられたのは、皇帝の血を引いている者だけだったって訳さ」

バズー! BAZOE!
バズー!とは結局何なのか?
欠片を保管している地下へ降りていく長い道のりで、僕は不死王ジャラがそれを罪深き者と呼んでいたのを思い出していた。

そこは奇妙な部屋だった。
黒曜石のように艶のある物質で敷き詰められた部屋の真ん中に、見た事もない奇妙な塊が転がっていた。
それを見た瞬間、僕は息を呑み、ロマールはふらふらと近寄っていって触ろうとしていた。
気付いたフェールが、慌ててその手を掴んだ。
「ロマール! 聞いてなかったのか! バズー!に触れれば君は死ぬぞ!」
何となく、気持ちは分かった。
この部屋には、あの物体には、そうさせる力があるような気がした。

「テオドール。ベラニード族の女王が盟約を結んでいる魔王オルヘスを倒すには、バズー!の欠片で作った最強の魔剣、グランイストールが必要なのだ。エルフは、人間がグランイストールを手にする事を嫌うだろうが、サリア姫を助けた事により、エルフ王は君に借りがある」
「サリアを攫ったり、念の入った小細工をした甲斐があったな。何もかも君の計算通りだ。いや恐れ入ったよ」

平然と言ったフェールに、僕はぞっとした。
ロマールは目を見開き、力を振り絞ってナルメア・シェンの名を呼んだ。
けれどナッシュおじさんの表情は変わらなかった。
「どうしても必要な事だった。そうでもしなければ、エルフが人間に協力する訳がない」
「そうとも限らんと思うがね」
掴み所のない態度を取るフェールを無視し、ナッシュおじさんは続ける。

「バズー!の欠片を持って、クォーラスへ向かい、グランイストールを鍛え上げて来てもらいたい。我々は三国同盟軍と共にネーリアに集結する。戻ってくる頃には、サーセスの軍備も整っているはずだ。……私とリカルドが見た夢を叶えて欲しい。頼む」
「父さんの、夢……」
「そうとも。私達の夢だった。これはセラスに伝わるヴェルファの巻物だ。持って行きなさい」

古代の地図によれば、このセラスにもかつて魔術の塔があった。
つまりそれは失われたレベル8の存在を示している。
僕はその巻物とバズー!の欠片を携えて、ロマールと共にクォーラスへ向かう事になった。
見送るナッシュおじさんとフェールの顔は、まともに見られなかった。
ロマールに目を向けると、あいつも同じみたいだった。

駆け出しの頃に大活躍した魔法、破魔レベル1のディスイービルとレベル2のレクター。
決戦の足音が聞こえる今、僕はそれを捨てて精霊レベル8のヴェルファを習得した。
それは、弓矢の精霊が数え切れない火矢を降らせ、辺りを爆炎に包む攻撃魔法だ。

クォーラスの森へは徒歩で行くしかない。
ネーリアで準備を整えてから、僕とロマールは二人でその厳しい旅路を歩いた。
森ではあのフレイムタイガーを退けて進んだ。
あの頃、命からがら逃げるしかなかった魔物も、今の僕らの敵ではなかった。
複雑な木々の間を抜けてエルフの里に辿り着くと、シュレール王が待っていた。

「シュレール様、お願いです! このバズー!の欠片で、グランイストールを鍛えて下さい」
「それは出来ない。グランイストールは、人間が持つにはあまりにも大きな力だ。ガゼルファン帝国は、バズー!の剣グランイストールを使って、イアルティスを破滅に導いたのだ。その力を再び人間に与える事は出来ない」
「私は、ガゼルファン皇帝の子孫です。ザインで神託を受けました。グランイストールがなければ、ベラニード族の大侵攻を食い止める事は出来ないとの事です」
「ガゼルファン! そうか……、ファルの神託が。全ての源を、絶たせるつもりか……」

シュレール王は珍しく大きく驚いて、ゆっくり息を吐くように呟いた。
そしてただ一言、付いてきなさいと言った。
彼は里の武器屋まで足を運ぶと、かつて魔剣ペナリアを鍛えたデンターという職人に、イアルティスのためバズー!の欠片から剣を打って欲しいと頼んだ。
職人は当然、人間にそんなものを与えていいのかと困惑した。
それからこう言った。
「……人間のために、哀れなベラニード族を討つのでしょう?」

だがシュレール王がそれに直接は答えず、「この者には借りがある」とだけ説明すると、職人は目を伏せて、王の命ならばと頷いた。
エルフの技術は僕らの想像を遙かに超えていて、数日の後にそれは完成した。
職人が言うには、バズー!の欠片で足りなかった分は、魔剣ペナリアに使用したミスリルで補ったらしい。
里で完成を待つ間には、彼らの技術の結晶であるゴリアテの秘薬を購入したり、相変わらず退屈ばかりしているお転婆サリア王女から、森からの脱走計画を聞いたりしていた。

旅立ちの朝、僕はシュレール王に重い口を開いた。
あなたに申し上げなければならない事があります、と。
だけど王はそれを落ち着いた声で遮った。
「サリアを攫ったのはベラニードではなく、ナルメア・シェンの手の者だ、という事かね」
「知っておられたのですか!」
「無論だとも。しかし、あれは気付いていない。サリアには言わないで欲しい」

僕は言葉を失った。
この世界には、僕の知らない事があまりに多い。
僕が最も美しいのは紛れもない現実だけれど、僕が知らない事実や、そして真実があまりにも多すぎる。
「真実を知らせる事が、常に良い事とは限らない。だから、君の周りの人物が、君の期待を裏切っていたとしても、許す心を持って欲しい。人間とは弱いものだ。我々エルフも、また弱い。それは、ベラニードも同じなのだ……」
「私にはよく分かりませんが……、けれど忘れません」
「それでいい」

僕の中にあった魔法の才、セラスを訪れてからの活躍、そして順調な出世。
それらは全て、僕が生まれた時から決まっていたのだろうか?
今から行われる戦いも、古代から続く世界の変化も、誰かがずっと昔から決めていたとでもいうのだろうか?
しかしそうだとして、その中で僕らは何を出来るだろう?

今、目の前でベラニード族が魔王オルヘスと盟約を交わして動いている。
それは確かだ。
僕は母さんやお爺ちゃん、そして今横で何も分かっていないくせに神妙な顔をしている馬鹿騎士の事を考え、何をしなくてはならないのか覚悟を決めた。

「ああ、また退屈な毎日が続くのよ。やっぱり旅に出たーい!」
無邪気にそう嘆くサリア王女に、僕は森の入り口まで送ってくれた礼を言った。
ロマールが目一杯格好良い表情を作り、「いつか共に旅に出ましょう。お元気で」と言うと、サリアは「五十年以内には絶対来てね」とニッコリ笑ったので、僕らは思わず吹き出してしまった。

ネーファン王国の首都、宗教都市ネーリア。
水晶宮殿の一室には、そうそうたる人物が集結していた。
町へ到着した僕とロマールがその部屋へ向かうと、張り詰めた空気の中で視線が一斉に集まり、一言「陛下、よくぞご無事で」と声が掛けられた。

「約束通りやって来たわよ」
不敵に言ったのは、ミレーヌだ。
彼女はデュエル王や大司教と並んで座っていても、今まで見せたものと全く変わらない笑みを浮かべて飄々と話した。

「グランイストールは!」
ナッシュおじさんは勢いよく立ち上がり、鋭い声を上げた。
僕は意を決して、シュレール王が何もかもを知りながら、それでもグランイストールを作ってくれた事を彼に伝えた。
彼は黙っていたけれど、横でそれを見ていたフェールが「小細工など労せずともよかったのだ」と淡々と言った。

巨大な机にはイアルティスの古い地図が広げられていて、刻一刻と変わる情勢が次々と伝令によって報告されていた。
既にイシュカール帝国がベラニードと魔王の軍に占領されたという。
このままではファーム、トゥーインと来て、ここネーリアが終着駅だ。

「今こそ! 騎士の誉れを見せる時だ!」
こんな面々の中でも態度が変わらないのだから、ロマールって凄い。
おまけに場の空気も話の流れも一切関係ないのだから、ロマールってやばい。
けれどデュエル王はそんな姿に感心して、わしも戦場に出ようと大きく頷くのだった。

「しかし、報告通りの軍勢なら、とてもネーリアは保たないでしょう」
「私の情報網は完璧よ! ベラニードだけならやれるけど、数万匹の魔物がいる限り無理ね」
ミレーヌの強い語尾に座が静まった瞬間、ナッシュおじさんが立ち上がった。
「我々が助かる道は、ただ一つ! 暗黒神殿へ奇襲を掛け、魔王オルヘスとベラニードの女王を倒すのみ! ……そのための、グランイストールです」
「パルの鏡とグランイストールの力を使えば、地下帝国に転移する事は可能でしょう」

グランイストールを扱えるのは、僕だけだ。
ロマールは、「これ以上テオドールを危ない目に遭わす訳にはいかない」と反対したけれど、僕は「ここまで来たんだから最後まで乗せられる事にするよ」と彼の肩を叩いた。
ナッシュおじさんは小さく、すまないと言った。

色々な所で、様々な人間が動いていた。
だから準備はあまりにも早く整い、気付いた時にはもうパルの鏡に対峙していた。
直前、ロットが体調不良を訴えて自室へ戻ってしまった。
あまりに唐突な行動にロマールは呼び止めようとしたが、今は時間がないというナッシュおじさんの言葉に従うしかなかった。

パルの鏡が一度に転移出来る人数は、四人まで。
この最後の戦いに臨むに当たり、世界中から仲間を呼び出す事が出来る。
心の中に、その者の姿を念じる事が出来れば。
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