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『バズー!魔法世界を詠む』 これまでのあらすじ
『テオの日記』 - 十三

2015/07/05 SUN

始まりは、母クレアが携えた一通の手紙だった。
いくら呼ばれても、決してこのガゼルファン帝国に訪れようとしなかった彼女は、「ファームでは、あなたに宛てた手紙は届かないらしいわね」と言って、直接それを手渡しにきたのだった。

デュールから来た騎士達、ネーリアから来た僧侶達、サールから来た軍人達……。
十年前に世界を救った希代の魔道士テオドールと、彼の手にある伝説のグランイストールは、イアルティス諸国が作り上げた皇帝の地位という平穏の中にあったのだ。
しかしその日、彼はひっそりとその繭から脱け出した。
始まりは、漂泊の吟遊詩人フェールからの手紙だった。

フェールという男は、彼の古い友人だった。
そして、彼と一緒に城を脱け出した唯一人の男もそうだった。
帝国騎士団団長を務める、ロマール・ブレスという赤い騎士である。

詩人は、再び恐ろしい事が起こり始めていると手紙で伝えていた。
「英雄達」にも数えられる現大司教ロット・クレイスの報告により、帝国時代の遺跡が眠ると判明した、ハイブレス地方のガゼラの塔。
そこにラルファン王国魔術師長ナッシュと共に調査に赴いたフェールは、人々の記憶には存在しない魔物に相対したのだという。
エルフ王シュレールならば知っているかも知れない……、手紙はそこで終わっていた。
彼らが住まうクォーラスへ入れる人間は、テオドールだけである。

テオドールの訪問を受けたシュレール王は、「ベリクァド」の名を口にした。
影の次元に潜むその魔物の事は、エルフですらも、大災厄直後に現れたらしいとしか話せなかった。
代わりに彼は、破魔の塔にスキュラと呼ばれる古き者がいるという情報を、テオドールに授けた。
彼らが森を後にする時、サリア王女もまたひっそりと付いていった事に、王は気付いていた。

旅の一行はまず、世界中に張り巡らされたサーセス帝国の情報網に接触を試みた。
するとそれは現在サールの実権を握るミレーヌ・デュプレにまで通じ、彼女はかつての戦友達に快く力を貸してくれた。
折しも、サールの都は物々しい雰囲気に包まれていた。

広大な領土を誇るサーセス帝国は、かねてよりその内側に火種を抱えていたのだ。
かつて赤い帝国と謳われた軍事国家も先の魔物との決戦で疲弊し、それから十年経った今、密かに自壊の危機が迫っていたのである。
荒療治に耐えられる内にと手を打ったのはミレーヌ、そして革命指導家セダンテスだった。
彼はダルネリア独立後の復興を、ガーランド始めとする平民に託して、各地を活動家として飛び回っていたのだ。
彼らはまず奴隷解放を宣言して、南サーセスの有力者の反発を誘い、今まさにそれを叩こうとしていた。

そんな彼らも、ベリクァドには苦しめられていると言った。
その魔物は近頃、世界中の高名な魔術師を次々襲っていた。
当初は魔王オルヘスの復活が疑われたものの、サーセスの情報網を駆使したミレーヌらは、独自にベリクァドという謎に辿り着いていた。
その謎についてテオドール達と知識を共有するために、パイプは繋がったのである。

彼女らは世界に散らばる様々な情報を一行に与えた。
かつて破魔の塔と呼ばれた古代遺跡は、現在のガゼラの塔と同じ場所に位置していた事。
ナルメア・シェンはその調査に赴いたために負傷し、今は近くのハイブレスで伏せっている事。
また、大司教ロット・クレイスも、この事態の調査に乗り出していたのか、数年前にワイバーンと接触した後に表舞台である水晶宮殿からは離れ、セラス郊外のパル寺院を出入りする姿が目撃されていた事。
そして彼もまた、強い魔力に惹かれたベリクァドに襲われた……。

一夜が明けて、テオドール達はハイブレスに向かう船に乗った。
懐かしい大地も懐かしい街並みも通り過ぎて、彼らは祖父である伯爵との再会を祝う間もなく、ナルメア・シェンを見舞った。
が、フェールを庇い重傷を負ったという彼の傷口を見た瞬間、サリアは深刻な魔の波動を感じ取り、その命がもう長くない事を知った。
それでもラルファン王国の魔術師長まで務めた彼は、命を削るように口を開くのだった。

ガゼラの塔の深部には遺跡があり、そこでベリクァドの襲撃に遭った彼は、「何者かがBAZOE!の力を使っている」とテオドール達に言った。
そして「BAZOE!は、1500年の昔に水底に沈んだ都パメラにある」と続け、最後に「リカルドは、私が……」と口にしたところで命の灯火が消えた。

皇帝テオドールと騎士ロマールは、再び雨の森を歩いた。
それは遠い日に、彼らが初めて共に冒険をした場所なのだった。
偉大な血を引く魔道士である彼が、未だ呪文の一つも唱えられない時分だった。

古き者スキュラ。
それはタコともイカとも形容出来る、軟体動物のような容姿をしているらしかった。
ガゼラの塔の地下深く、フェールが発生させたサンブラストの明かりすら飲み込まれてしまうような闇の中で、それは朧気な姿を現した。

自らを不死なる身と言い表し、高い知能と様々な言語を操るそれは、皇帝の質問に淡々と答えた。
影のたゆたう地からやって来た「ベ・リクァド」とは、影を断ち切れぬように倒せぬ者であり、バズー!によって呼び出された存在である。
そしてバズー!とは、イアルティスの魔法の元であり、遙か昔に古のガゼルファンによって作られたものである。
ベ・リクァドは主なくば動かざる者、バズー!を操る者が魔法世界の主となる……。

帰り道、彼らはスキュラの言葉の意味を知る事となる。
ベ・リクァドの襲撃を受けたのだ。
何とか退ける事には成功したものの、ベ・リクァドは死なず、影の次元に戻っていくだけだった。

パメラは現在海の底にあり、道は絶たれたかに思われた。
しかしその時既に、ハイブレスに一人のウル人がやって来ていて、テオドールはまるで急流に飲まれるように、再び世界の命運を与る戦いへ赴く事となった。
「我が一族の長老の命により、ガゼルファン皇帝をお迎えに上がりました」
深い知性を感じさせる声は、かつてその身を助けたバイセンのものであり、テオドールは彼の導きでウルの島へと渡る。

ロマールは彼の肩に手を置き、「何と言おうが付いていくよ。私は騎士だ。君を守る」と言った。
サリアは皆に心配されたものの、元より置いてきぼりだけは食わないつもりらしかった。
フェールはその傷が完全に癒えていなかったために、残る事となった。
彼は「君の詩を作るのは私の仕事だ。そのためにも必ず帰ってくると約束してくれ」と、手を握り締めた。

「……ここが狼人間の島か」
テオドールはイアルティスの果てで呟いた。
「ウルフェンです。テオドール様」
バイセンは頭を下げながら静かに言うと、その小さな島へと船を繋げた。

「いやしくも皇帝陛下をこのような所へお呼びして、申し訳ありません」
「いえ。私はただの魔道士としてここへ来たのです」
ウル族の長老は、表情の変化こそ見受けられないものの、テオドールに対する強い敬意をその物腰から感じさせた。
「我らウルは、皇帝の親衛隊にして、パメラの守護者なのです。1500年もの間、帝都パメラをお守りしてきました」

ところが、と彼は続ける。
「今度ばかりはパメラへの侵入を許してしまいました。その者は、中からパメラへの扉を閉ざしてしまいましたが、皇帝陛下ならば扉が道を開きましょう」
そう言ってから、長老は横の者に様々な武器や巻物を運ばせた。
「ここに用意致しました物は、古のパメラ崩壊の時に持ち出された物です。いかようにもお使い下さい。……バイセン、陛下様をお助けし、次元回廊へとご案内するのじゃ」

ウルフェンの住まう島は鮮やかな緑に包まれていて、ミステイクバードと呼ばれる極彩色の巨大な鳥達が、風に歌声を響かせていた。
そしてその景色に穴が開くように、回廊への入り口はあった。
中の空気は外の活発な暖かさとは異なる、冷たく停止したものだった。
「ここが、パメラを守る次元の狭間……次元回廊です」

暗い、黒い、遠大とも狭小とも判別の付かない空間がそこには広がっていた。
遠くか近くで、チカチカとあらゆる色の光が絶えず瞬いていたが、それが平面上に映し出された像なのか、それとも空間上に実在する何かなのかは、エルフの眼にも明らかでなかった。
テオドールは、かつて自分の右手に握り締めた神の眼が、魔王オルヘスを次元の狭間へ放逐した光景を思い出していた。
すると、あの恐ろしい巨体がすぐ側にでもいるような気がして、思わず身が震えた。
だが次の瞬間には、今自分達の存在そのものが、魔王と同一のモノを成しているというような考えが唐突に沸き上がってきて、冷や汗すらも浮かばなかった。
彼らはそうしてしばらく立ち止まっていたが、それも一体どれだけの時間だったのか、判然としなかった。

黒の中には道があるらしかった。
道は長く、折れ曲がり、そして折り重なっていたが、歩き続けていると唐突に扉が現れて終着が訪れた。
バイセンに視線を送り確かめると、テオドールはその取っ手を捻り、開けた。
すると彼らはいつの間にか、かつての戦いの記憶の中にいたのである。
パラススパイダー、ゴーゴン、フレイムタイガー、グリフォン、ボーンウォリャー、マーメイド、スペクター、ブラッディバット、ガスフロッグ、セメタリィー、ナイト、ネクロマンサー、デビルイーター、フランソワーズ……。

これまでに戦い、乗り越え、そして今はもう忘れかけてしまっていた敵達。
彼らの記憶は、戦っても戦っても尽きる事がなかった。
扉を開けるとそうした懐かしいイアルティスの景色が広がり、気が付くと後ろ手に一つの扉を閉めていて、眼前には黒と道だけが広がっていた。
いつしか魔力も体力も消耗していて、冷静に何かを考える事が容易でなくなっていた。

「この扉は、少し変な気がします」
テオドールははっとしてバイセンの方を見た。
獣の顔をした彼は、じっと静かな瞳で見つめてくるばかりだった。
そこで恐る恐る扉を開くと、先には更に大きな扉があり、それが遂に空間の終わりを示していた。

「バズー!の名において、門は閉じられた!」
声が轟き、重々しい金属音が後ろから聞こえたかと思うと、そこは古い城の一角だった。
フェルディナンド。
灰色の巨躯がその名を名乗った。
そして彼はグラヴィトンという球を成す重力を放ち、それが一行の背後にあった扉を飲み込み、ひしゃげさせ、文字通り消滅させてしまった。

第二波が続く。
かつての英雄達は、それを咄嗟に避けて四散した。
平和を享受してきた騎士団団長のロマール、緩やかな時の流れで退屈を続けていたサリア、皇帝として生きてきたテオドール。
バイセンは元より、四人全員がその動きに鈍さを一切感じさせなかった。
すぐさまロマールが前線を作り、隙を縫って接近したバイセンが敵に鋭い衝撃を与えて、時間を作り出した。
テオドールとサリアは呪文を詠唱する。
もはやこの古の巨人も、彼らにとっては敵ではなかった。

第26代ガゼルファン帝国皇帝テオドールは、遂に失われた都パメラをその眼に収めた。
うっすらと水に浸されたその都市は、あまりにも静かで、壊れゆく儚げな美しさ持ち、しかし確かにまだ死んではいないようだった。
「パメラは、水没した後も魔力を発揮し続けているんだ」
テオドールが独り言のように呟いた言葉に、ロマールは微かに息を呑んだ。
都市の力に惹かれるのか、パメラにはこの環境でも生きていけるような強力な魔物が棲み着いていた。

建造物はどれも壮麗で、現代のイアルティスには見られないような形状をしていた。
街を囲む魔術の塔の高さ、神殿の巨大さと緻密さ、一行がそれらに圧倒されている間に、後ろから何者かが走り寄ってきた。
「やっと追い付いた! 急いで追いかけてきたのだ」
それは、ナッシュの顔をしていた。
髭を蓄え、目元には時の流れに刻まれた深い皺があり、杖を握る手は細かった。
「さあ、一緒にバズー!を目指そう」
笑み、手を差し伸べるそれに、テオドールは首を振った。
「……私が信用出来んのかね?」
「本物のナッシュは、もう死んでいる」

げげげっげげえげええええ!
耳をつんざくような音が空っぽの神殿に響き、それは正体を現した。
幾本もの腕と老人のような顔が、巨大な球体に張り付いていて、表面にある無数の結節を長い毛が覆っていた。
その肉の色は暗い茶で、常に不快な臭いを辺りに漂わせ、動く度に奇妙な音を発した。

テオドール達は剣を振るい、魔法を放った。
生々しい手応えがあった。
しかし妙な事に、それは決して動こうとしなかった。
ただじっとして攻撃を受け続け、時たま大仰に笑い声を上げて、そして思い付いたように身の毛もよだつ悲鳴を上げた。
「酷すぎる……。こんな事が、許される訳がない」
朽ちていく肉塊を見つめ、テオドールは思わず悲しみに満ちた声を吐き出した。
横からその表情を覗いたロマールは、彼がまだ少年だった日々を思い出した。

「この辺りにはベリクァドが多いわ。気を付けないと命取りよ!」
「内戦が片付いたので、すぐに後を追ってきたのさ」
湧くように現れたミレーヌとセダンテスに、ロマールが驚いた。
「早く片付いてよかった。これだけの強者が集まれば、何が出ようと怖くない。おっと、騎士に怖いものはないがね」
「協力させてもらうわ、テオドール。その代わり、財宝は山分けよ」
テオドールは、ロマールを制した。
そして彼らを打ち倒した後に、バイセンが言う。
「臭いまでしました。影の世界から本人の影を引き寄せるのでしょう」
淡々としたその声は街の壁に木霊して、それから僅かに侵入を許す水に溶けて消えていった。

帝国の中心部であるガゼル城。
ガゼルファン帝国皇帝は、時を経てこの場所へと帰ってきた。
城内は在りし日を失わずに皇帝を待ち続けていたらしく、各所にまだ多くの財宝や魔法道具を残していて、彼らはゴリアテの秘薬やグラールフィズを手に入れた。
そしてまた一つの扉を開けた時だった。
部屋の中に突然声が聞こえて、像が見えた。

「全ての魔法は、バズー!より始まるのだ」
「素晴らしいわ! フェスター!! このバズー!の力で帝国は益々栄えますわね」
「そうとも。夢の時代が来るのだ」

狼狽えるロマールの目の前で、豪奢だが古めかしい恰好をした女と、見慣れない魔術師のローブを被った男は消えた。
「何の臭いもしなかった」とバイセンが言うと、テオドールは今のがガゼルファン帝国時代の幻であった事に気が付いた。
それはこの城が、いつの日か帰ってくる皇帝に見せたかった記憶であり、バズー!という存在を発端として現在もイアルティスを支えている魔法の歴史だったのだ。
エルフの王女であるサリアも、それに興奮していた。
記憶の光は部屋から部屋へと移動し、テオドール達は時代を追っていくように、それを追いかけていった。

「ねえ、お父様。パメラを空に浮かべて下さらない?」
「それは良いな! 皆も喜ぶであろう。街を浮かべるなど、バズー!がなかった頃には考えられない事じゃったがな」
「うふっ。うふふふ……」

「イアルティスの各地で、自然のバランスが狂い始めているという報告が入っております」
「恐らく、バズー!のせいだろう……。バズー!から引き出される膨大なエナジーに、イアルティスの世界自体が耐えられなかったのだ」
「では、すぐにバズー!の使用を止めるべきではありませんか」
「このパメラを浮かべているのは、バズー!だ。バズー!を停止させるタイミングを誤れば、パメラは崩壊する。バズー!に蓄えた力は、イアルティスを壊滅させるのに十分な量だ。しかも、バズー!のエナジーは、増え続けている……」
「……フェスターの奴! とんでもないものを作ったものだ」

バズー!
パメラを天空に浮上させ、自然界のバランスを崩す程の力。
エナジーそのものが、エナジーを生み出す。
その強大さを認識したテオドール達に向かって、今度は背後からバイセンが言葉を紡いだ。
「我ら、ウル族もバズー!の力により生み出された民なのです。私は、1500年生きています。バズー!が有る限り、ウル族はパメラを守り続けるのです」

1500年前、大災厄の余波で帝国の次元回廊は均衡が崩れ、他界より多くの魔物が現れた。
当時の帝国人達は、既に拡散した魔法の力を守るためにも、沈み行くパメラへのアクセスをどうにか保とうとして、彼らを生み出したのだった。
それが現代においても奴隷として攫われ、苦しめられているのだと知ってテオドールは愕然としたが、バイセンの表情は決して変わらなかった。

「このままでは、バズー!の力は益々巨大になっていく」
「貴方のせいではありませんわ! 貴方は帝国のために、バズー!を作ったんですもの」
「しかし、バズー!は次元の狭間から無限のエナジーを引き出し続けているのだ。このままでは……」
「このままでは、どうなるというのです?」
「限界に達すると、全ての力が解放される」
「イアルティスは……」

「お父様! イアルティスの大地が海の底に沈んでいきますわ!」
「バズー!の力が働かんのだ! それどころか、一切の魔法が使えないのじゃ!」
「あぁ! ……何? まさか! パメラが……落ちてる!」
「フェスタああああーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!」

現代に語り継がれる、大災厄。
それはバズー!によってもたらされ、その時パメラは滅び去った。
しかし、バズー!は滅びなかった。

そして時は巡り、今度の部屋では皇帝テオドールの父であるリカルドと、その盟友であるナルメア・シェンが向き合っていた。
扉が開かれ、それまで停止していた父が口を開くと、息子は初めてその声を聞いた。
「遂にパメラに辿り着いた。このグランイストールがあれば、バズー!を操れるはずだ。再び夢の時代が来るのだ」
「……リカルド」

目に見えるものだけを信じてはいけない。
見えざるものの中に真実がある。
城内のどこかに印されていたこの言葉通り、城の最深部に行くためには複雑な隠し通路を幾本もくぐり抜けなければならなかった。
或いは崩落してしまった床から下へ落ちる事も必要だった。

そうして彼らが辿り着いたのは、真っ暗な空の上に架けられた、長大な階段だった。
城の中だったが、そこもまたこの世界が接触する次元の狭間に違いなかった。
水晶に似た物質で作られた階段の下には、美しい光を放つ星々の集合体が見え、それは輪廻するように巡り、去ってはまた新しい姿で現れた。
果てが無いようにも見えた階段は、ある地点で広い踊り場へと繋がった。
そこには先程城内の一室で見た、フェスターが立っていた。

創造神フェスター。
神であればこそ、彼は悠久の時を過ごし、この場所でテオドール達を待ち続けられたのであろうか?
いや、フェスターは魔法を生み出した偉大な技術者であり、同時に一人の人間である事を、我々は知っているはずである。

それでも彼は言い、テオドールが答える。
「愚かな皇帝の子孫よ。私の名は、唯一なるフェスター! イアルティスの神だ」
「罪もない人々を殺す神がいるものか!」
「無益な戦いは好まぬ。グランイストールを置いてゆくがよい。無事にイアルティスの地へ帰してやろう」
そんな思わぬ申し出にも、騎士ロマールは動じない。
「愚かな! グランイストールは、ガゼルファン帝国の血を引く方にしか使えない聖なる剣なのだ」
「ハッハハハハッ! そんな戯言を本気で信じているのか!」
「何故グランイストールを欲しがる?」
「バズー!の力を解き放つには、グランイストールが必要なのだ。……まだ分からないのかね? 私はかつてロット・クレイスと呼ばれ、君達と愚かな探索をした男だ」

完全な静寂がこの場所を覆った。
しかし言葉を失ったテオドールには、巡り巡る星達の最中から、ミマスの叫びが聞こえた気がした。
もう十年以上会っていないはずなのに、今もどこかの荒野を移り住んでいるであろう彼女の心が、足下の空に映し出されたような気がしたのだった。
「本当にロットなのか? 何を言っているんだ。君は、正義を志す優しい男だったはずだ」

「正義……。君の口からそんな言葉が出るとは思わなかったよ。王達に操られ、ベラニード族を皆殺しにしたのは、君じゃないか!」
「テオドールはイアルティスを守るために戦ったんだ! 攻めてきたのはベラニード族だ」
「私は『テリスの書』を研究し、本当の歴史を解き明かしたよ。侵略者は、我々人間だったのだ。君達は、ベランの人々の言葉を聞いたはずだ。騎士の時代とは、ベラニード族を地の底へ追いやるための、侵略戦争だったのだ」
「な、何という侮辱! 全ての騎士に対する侮辱だぞ!」
「それだけではない。バズー!の力を使って地下世界への扉を封印し、自分達の行為を正当化する為に、記録を書き換えた」

「だからといって、君がバズー!を使って支配者になっていいというものではない!」
必死に訴えるテオドールを、ロット・クレイスは郷愁を帯びたような眼で見つめた。
「これ以上の議論は無用だ。操り人形の言葉を聞くつもりはない。私は、正しいと信じる事をするだけだ。バズー!の力で、理想の世界を作る!」

ロットは、バズー!の力を得て信じられない程の魔力を有していた。
テオドールが召喚魔法の最高峰ブレースを放っても、大きな手応えはなかった。
対してロットが放つ地獄の業火ゲヘナ、そして無数の火矢を降らせるヴェルファといった精霊魔法の火力は凄まじく、ロマールとバイセンの接近も容易ではなかった。
サリアの魔力を以てしても生命魔法と秘薬の連発でその場を凌ぐのが精一杯で、攻撃にはなかなか転じられなかった。
サリア姫は今、フェアリードレスを身に纏い、ベラニード達が遺したパールピアスとパールスタッフを扱い、そしてテオドールから手渡されたガゼラのティアラを握り締めて戦っていた。

幻影レベル7のミラージュ、探査レベル8のフォッサデルマ、精霊レベル6のライトニング、強力を呪文が飛び交い、双方とも死を背にして撃ち続けた。
もはやテオドールはグランイストールを手に、駆けていた。
すると刹那、ロットの攻撃魔法の嵐が、止んだ。
それは魔力の限界点が来たようにも、僅かながら躊躇を覚えたようにも、見えた。

「うっうう……」
致命傷を受けたロットは、這うようにして更なる階段を昇っていった。
皆、先程までそんな所に階段があるなどと認識出来ていなかった。
彼らはそこを急いで駆け上がり、その先で中空に浮かぶ美しい直線の集合、鈍く煌めくバズー!による一繋ぎの組織を見た。

「……テオドール」
「何が、君を変えたんだ」
「バズー!は、魔法の源……。バズー!の暴走が、ガゼルファン帝国を滅亡させた……。魔物をイアルティスへ導いたのも、暴走したバズー!だ……。だからといって、バズー!が悪い訳ではない。より大きな魔力を得るためにバズー!を作ったのは、人間なのだから……」

機械的な軋みか、それとも生物的な呻きか、バズー!から何かが聞こえるような気がした。
すると今までじっと黙り込んでいたバイセンが強く言った。
「そうです。バズー!がいけない訳ではありません」
しかしテオドールは、この果ての無い空間で大切なものを見失わないようにするかの如く、大きな声を上げた。
「罪もない魔術師を殺したのは何故だ!」

「君の人生を振り返ってみるといい……。王達に踊らされ、ベラニード族を滅亡させ……。その報酬が宮廷での飼い殺しという訳だ。シナリオを書いたのは、ナッシュ……。それに乗ったのが、デュール王とサーセス皇帝。君を……踊らせた……」
「だからナッシュを殺したのか!」
「君は、常に監視されていた。グランイストールを得るには、君をパメラへおびき寄せる必要があった」
「そんな事の為だけに、多くの人を殺した!」
「イアルティスは、狂った世界だ……。誰かが誤りを正さなくてはいけない。グランイストールがあれば……、バズー!の力を使って、世界を作り直す事が出来る……」
「無理だよ、ロット。ガゼルファン帝国は、バズー!を扱いきれずに破滅したんだ」
「私は、部分的にバズー!をコントロールしている……。後は、そのグランイストールが……あれば……完全にコントロール……。私は、イアルティスに……正義、を……。……ぐっ。どうした……事だ……。……バズー!が」

ロットは一瞬気を失い、それからこの世のものとは思えない悲鳴を上げた。
とても人が発しているようには聞こえない断末魔が、次元の果てにまで響き渡った。
そして今バズー!の中心に倒れ込んでいた彼は、その制御にもがき、そして失敗した。
「こ、これは」
「ロット!」
後じさりするロマールと、叫び声を上げるサリア。
目の前には身体が変容し、もはや人でも、動物でも、魔物ですらもなくなったロットが迫っていた。
それはこの世界の全ての生命、ベ・リクァドですらもその一部に飲み込んだ、完全な生物だった。

光線と火炎、そしてあらゆる動きを凍り付かせる冷気。
そいつは、破壊という破壊を撒き散らした。
サリアは生命魔法によってそれを押し返そうとし、バイセンはその頑強な肉体で敵にぶつかっていった。
テオドールとロマールは二人でその剣を振るい、互いに背を預け合った。
ロマールは過剰なまでにテオドールを守り、テオドールはサリアが心配になるくらいロマールに構わなかったが、本当に危なくなれば誰よりも早く助けた。

「元の姿に……」
ロマールは自分の振った剣の先を見て、呟いた。
「……テオドール。最後に、言っておきたい……事がある。リカルド様は、ナッシュに殺された……」
「何だって!」
「災厄の元……バズー!を、破壊しようとしたから……。ナッシュは何よりも、魔術を……分かる……だろ。……」
「ロット。ありがとう……」

テオドールは知った。
ロットはあくまでも高い理想を持って戦っていたのであり、決して野望に狂った訳でも、憎しみに身を任せた訳でもなかった事を。
そしてテオドールは思い出した。
ロットがパルの鏡で見せた表情と、魔王オルヘスとの戦いで見せた冷徹な死への覚悟を。
もしかすると、彼は今この瞬間の結末までもパルの鏡によって知らされ、それでも何かを変えようとして、こうして戦い抜いたのかも知れなかった。

「私も、成すべき事が分かったよ。父さん……、バズー!は必ず」
「陛下! バズー!を破壊するという事は、魔法を消滅させるという事です。陛下は、イアルティスの人々から魔法を奪うのですか?」
一歩進み出たテオドールを止めたのは、バイセンだった。
しかしロマールが後ろから言う。
「迷う事はない! ロットの姿を思い出すんだ。バズー!は危険なものだ!」
「バズー!がなくなれば、ウル族も消え去り、全ての魔法が消え去ります!」
「迷わないで、テオドール!」
サリアはベラニードが遺したパールスタッフを握り締め、言った。

「テオドール。君は、魔法がなくてもやっていける。雨の森を思い出すんだ!」
ロマールと共に初めての探索を行った場所、雨の森。
そしてロットとミマスと初めて出会った場所、雨の森。
それまで大地を耕してばかりいたテオドールは、まだレベル1の魔法すら扱えず、あのハイブレス城の屋上でロマールと必死に練習した剣術だけで、魔物や盗賊と戦ったのだった。
「さあ、行きたまえ」
「皇帝陛下!」

テオドールはバズー!へ近付いていった。
……それから、世界中でこんな声が起こった。
「おや? 魔法が伝授出来ん」
「あっ! 巻物が! 呪文が消えてる!」
「何じゃ! 全部の呪文が消えてしまった!」
「な、何という事じゃ! パルの鏡が! 大変だ!」
そして、ファルを始めとした神々は言った。
「バズー!が消えた……。神の時代は終わった。もう去らねばならぬ……」
エルフ王もまた、事態を把握していた。
「バズー!の波動が、止まった……」
砂漠を彷徨っていた不死王は、己の孤独に気が付いた。
「……? ここは、一体どこだ? 私は……不死の薬の研究を……。駄目だ! 思い出せん!」

「テオドール様!!! 遂に、壊し……ましたね!」
「すまない。バイセン……。他に方法がなかったんだ」
そうしてテオドールの目の前で、バイセンは消え失せたのだった。
文字通り跡形もなくなった。
他のウル族も皆そうであろう。
その表情からは、最後まで感情を読み取れなかった。

「テオドール」
「……」
「どうしたんだい、テオドール」
「私は、イアルティスから魔法を奪ってしまったんだ……」
「君は、イアルティスにバズー!がない方がいいと決断した。その答えは、これから私達で作っていくものだ」
「ロマール……」
「君達魔法使いは知らなかっただろうけど、魔法なんてなくったって、どうって事ないものだったんだよ」

ロマールという騎士は、前しか向いていないのだった。
その言葉は無責任で、脳天気で、でたらめだったが、しかしそんな前しか向かない馬鹿げた心意気に、テオドールはいつも救われていた。
「分かったよ、ロマール! 魔法のない新しいイアルティスを素晴らしい世界にする為に、頑張ろう!」
「こんな悲劇を生まない世界を作りましょう」
「帰ろう! イアルティスへ!」

「父さんの願い、ロットの志……、そして多分ナッシュの……。私はその全てを受け継いだんだ。後悔はしない」
きっと、三つの理想があった。
リカルドは歴史の真実を学び、バズー!によって膨れ上がった世界と、それが孕む危険を正すために、大きな痛みと喪失を伴ってもイアルティスを本来の姿に戻そうとした。
ナッシュは例え間違っていると言われようとも、今世界中で生きる人間と、長い歴史が懸命に積み上げた文化を守るために、眼前に迫ったベラニードを討ち、過ぎた力が野放しにならないよう嘘を真にしようとした。
ロットはそんな多くの歪みの上にある世界を知り、本当の意味での解決を夢見て、膨大な力を膨大な力と技術によって制御し根本から作り直そうとした。

いや、もっとたくさんの、更に無数の理想が、未来があったのだろう。
その一つの先端に立ち、テオドールは一歩を踏み出したのだ。
そして歩き始めようとした。

「な、何だ!」
その時、空間が激しくわなないた。
「バズー!だ! バズー!がなくなったせいで、パメラを支える力がなくなったんだ!」
「早く! 早く脱出しましょう!」
「急げ! テオドール!」
「駄目だ! ……間に合わない!」

こうして、イアルティスの地よりバズー!が消滅した。
魔法を失った我々は、自らの手で運命を切り開かねばならない。
神々と魔法の代は終わった。
新たな時代の始まりである。





The End
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