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『サンサーラ・ナーガを詠む』 Appendix Story

『アルダとの再会』

 子供達が遊んでいた。森に入るのは禁じられていたが、やはり暗い魅力が無鉄砲な彼らを惹き付けるのか、広がる野原の中でもその境は格好の遊び場となっていた。彼らはそこで勇気試しや小さな冒険を楽しんでいるのだ。
 互いを呼び合ったり、一緒に固まって静かになったかと思うと、一斉に駆け出したりして、笑い声が沸き起こっていた。皆、知性に汚されていない真剣な眼差しで、口元には嬉しさと快活さを浮かべている。喜びが噴水のように弾け、天から降り注いで、それがいつまでも太陽が落ちないように引き留めているみたいだった。
 大人達が危険だと言って近寄らないようにする場所だからこそ、彼らの結束は強まるのだ。たまに誰かの親が我が子を連れ戻そうとしたり、この遊び場の問題を村に訴えようとすると、男の子も女の子もなくそれに抵抗する手段を相談し合って、彼らは数々の工夫を凝らした舌戦を繰り広げた。遊びであるが為に子供達は一層真面目にこの問題を扱っていて、ここはさながら自治区のようであり、大人の理屈で区切られていない彼らだけの世界だった。

「おーい! おーい!」
 少年の一人が帰ってきたベルカを遠目に認め、必死になって両手を振り回した。彼は竜使いアムリタの弟で、以前その命を助けられてからというもの、ベルカに憧れを抱いてよく懐いていた。いや、彼だけではない。大人にも子供にも属していないように見える旅人のベルカは、少年少女にとっては自分達を代弁してくれるかも知れないヒーローのようにも見えたのである。また、それは彼がこのシャクンタ村の大人達に心から歓迎されている訳ではない、という雰囲気への反撥でもあったろう。
 村はこれまで、幾度となく野良竜の脅威に晒されてきた。だから例え一度その解決に協力したとはいえ、はぐれてしまった竜を探している竜使いの滞在など、よく思っている者は殆どいなかった。
「ベルカさん! アルダ、見つかりましたか?」
 首を横に振ると、駆け寄ってきた少年はアムリタとよく似たその瞳を曇らせ、まるで自分の事のようにうなだれた。彼の名はジールといった。初めて名前を聞いた時から何故か他人とは思えない親しみを覚えていたベルカは、この日も数日ぶりに村に戻ってきたというのに、疲れた顔も見せないようにして彼に別の適当な土産話を聞かせてやるのだった。
 晴れた空を見れば、もう随分と日が長くなったのが分かる。それで道なりに歩いていた二人は、小川にさしかかった辺りで腰を下ろした。緩やかな斜面の草っ原の向こうには、木と山が見えるばかりだった。とはいえ、村の規模としてはオリッサよりもいくらか大きい。牧畜や畑が主に営まれていて、人々の繋がりが強く、助け合いが日常という土地柄である。アルダと離れ離れになってしまってから既に半年、ベルカは世界中を駆けずり回って捜索を続けていたが、今はこのシャクンタ村を拠点に周辺を当たっていた。
「アルダ、大丈夫かな……。誰かに酷い事をされてなきゃいいけど」
 ジールは流れゆく水面を見つめながら、ぽつりと言った。キラキラと反射する光が彼の表情を伝って、それはとてももの悲しいものに見えた。
「きっと大丈夫だよ。これ、見てみな」
 いたたまれなくなったのか、ベルカは荷物の中をゴソゴソやって、小さな鉄製の爪を取り出した。それは傷だらけで微妙に歪んでおり、実際よりもずっと古ぼけたものに見えた。
「あいつ、最初はこんなものを付けてたんだ。だけどすぐ、人間が作るものなんてお笑いだって分かったよ。身体をでかくするのが一番強いに決まってるんだから。あいつに敵う奴なんて、いないさ」
「うん。……けど、どうして攫われちゃったんだろ。脱皮して、まだ寝ぼけてたのかな」
「分からない」
「ベルカさんの事、きっと覚えてますよね?」
 ベルカは黙って、少年の頭に手を置いた。どこかに罪悪感のようなものを抱え続けていたから、この事で誰かを励ます言葉を持っていなかったのである。代わりに彼はアルダとの思い出を幾つか口にしたが、それは自分にも言い聞かせているのかも知れなかった。
「あの頃は、二人で一匹を始末するっていうのが上手くいっただけで、凄く嬉しかったんだ。行ける場所が広がったのは、ブレスをまともに吹けるようになってからでさ。でもそれからは、世界の端まであっという間だったな」
「凄いなあ。ベルカさんとアルダは、どこへだって行けちゃうんだ! アルダも絶対、また一緒に旅をしたがってますね!」
 力強く言ってから、ジールはいつも振り回している棒きれを持って立ち上がった。
「ベルカさん、僕に出来る事ありますか? あれから毎日、剣の稽古をしてるんです」
 彼は思わず出てしまった自信のある口振りに照れながら、それを誤魔化すように素振りをした。
「ほら! 狙わなくていい。眼をしっかり開けて、前に踏み込んで振る。ですよね?」
 そもそもベルカの剣というのは遮二無二振ってきただけの我流だったし、何より責任が持てなかったから、言えたのはその程度なのだった。しかし、それでもジールは大層有り難がって聞いてくるので、そんな素直さが兄弟のいない彼には可愛かった。
「僕、最近益々こうしちゃいられないなって、思うんです」
「またソーマの大樹に行こうとしてるんじゃないな?」
「違いますよ。でも、あそこから見たのが忘れられなくて」
「世界の果てか。向こうには何があると思う?」
「分かりません。それを見たいんです」
 まるで高い塀があるからその向こうが気になる、といった具合である。あの騒ぎでは死ぬかも知れない思いをして大泣きしていたはずだったが、年端もいかない男というのはいつだって苦痛を受け入れようとしないのだった。無邪気に微笑む少年を拳でちょんと小突いていると、遠くからジールの母が呼ぶ声が聞こえた。
「ジール! お父さん、あれ始めちゃうよ!」
「今行くよ!」
 あれとは、山羊の一種であるマカラに餌をやる事だった。干し草を大きく固めたものを斜面から転がすと、マカラ達が焦って避け、それから線状に残ったものに群がって食む。その様子を幼い頃のジールが毎回面白がったので、今でもまだ好きなのだと両親は勘違いしているのだ。
「ベルカさん、僕が冒険者になりたいって内緒ですよ」
「うん」
「うちはお姉ちゃんが出て行っちゃったし、きっとガッカリするから」
 走って行く少年を見送ると、ベルカは手の中にある小さな鉄の爪に目を落とし、少しの間それをぼんやりと眺めていた。

 息子が世話になったからと、夜はいつもジールの家が泊めてくれた。
「あんたを見てると、何だか子供が一人増えたみたいで嬉しくてね」
 おばさんはそんな事を言いながら、暖炉の火でパンを焼いていた。小麦粉に塩と水を加えて混ぜ合わせ、ドーナツ状の生地にしたものを、直接灰の中に放り込んで作るパンだった。四十分程火加減を調節しなくてはならず、彼女は汗を拭いながら、紅潮した頬を膨らませて息を吹きかけていた。
 家の中は仄かな明かりに照らされている。奥の方ではおじさんが何か仕事をしていて、ジールがそれを手伝っているような声がぽつりぽつりと聞こえた。時間は穏やかで、美しかった。
「今度はどこへ行ってたんだい?」
「東の方に岩だらけの丘陵があって、そこに。よく一緒に狩りをした所なんです」
「思い出の場所って訳だ」
 笑顔を見せるおばさんに向かって曖昧に頷いた一方で、ベルカは自分がその思い出とやらに一体何を期待しているのだろうと考えていた。それは自身にとってみれば遠い日々を過ごしたオリッサなのだろうが、彼はふと、もはやそこには用がないのだという現実に気が付くのだった。
 焼けたパンは、まず灰を薪で叩いて落とし、更に包丁で表面を削ってから食べる。温かい甘さが鼻を抜け、腹が減っていた四人は暫く黙々と囓り続けていたが、それが一段落するとおじさんが口を開いた。
「竜というのは、完全に言う事を聞くというものではないんだろう?」
「そうですね。いくら経験を積んでも、笛を吹くのを怠るとどうしても」
「危なかった事はあったかい?」
「一度、持ち物を奪われてしまった時に、笛がなくて大変でしたよ。まあ、この程度の傷で済んだから、あっちは甘えてじゃれてきてるだけなんでしょうけど。何せあの身体ですから」
 ベルカは何の気なしに腕をまくって大きな傷痕を見せたのだったが、おじさんは露骨に眉をひそめた。或いは、アムリタの事を想ったのかも知れない。
「ベルカ君。今も大変苦労しているみたいだし、いっそ竜使いになる事を諦めるという訳にはいかないのかい? お婆さんだって田畑を守って、いつでも帰ってきていいと言っているんだろう?」
 しかし彼は言ってしまってから後悔したのか、すぐに俯いて首を振った。
「……いや、そうだったな。これは子を持つ親の愚痴だ」
「僕、今はとにかくアルダが心配なんです」
 二人を見ていたおばさんが何も言わずに笑んでいたのが、ベルカの印象には強く残っていた。ジールはいつの間にか眠たそうな眼をしていて、家族は程なく寝る為の準備を始めた。

「ねぇ、君。世界は神様で一杯なのだよ。ほら、後ろ!」
 ベルカが後ろを振り向くと、そこには今斬ったばかりの猩々の死体が血に濡れていた。確かに、この白銀の猿を森の守り神と伝承する地域があるとは聞いた事があった。であれば、今こうして森の深部に木霊する恐ろしい咆哮は、彼らがここを守ろうとする高潔な意志そのものなのだろうか。
 いや、きっとそんな事はない。このおぞましい声が決して聞き慣れないのは、そこに含まれる強烈な害意の故だ。人々は、こちらに向けられる正体なき憎しみという恐怖を、何とかして自分達の理解する世界に閉じ込めようと、こういった考えを作り出したに違いない。
 アケルナルの狂僧の言葉を借りるまでもなく、あらゆる神々の物語が対象や現象の擬人化、キャラクター化を手当たり次第に試みていたのは明らかだろう。そして、まるきりステージの違う論理構造であっても、表情や感情を貼り付けて解釈する事によって受け入れ、まして利用しようとした。
 だが実際には、その仕業が他人にまで及んでいた事からも分かるように、人は神の寝返りによって起きた様々どころか、他の人間の寝返りを見たとしても、そこに意志があったかどうかすら判別出来なかった。いや赤の他人だけでなく、例え肉親であっても、まして本人であっても、我々はそれに身勝手な解釈以上を与える事など出来ないのだ。
「ぶわかものっ!」
 まるでソーマの大樹から生えてきたかのように、アル・シンハ老人がその背後から現れて怒声を響かせた。
「よりによって竜を盗まれるとは! 己、それでも竜使いかっ! しかもソーマの実に頼るなど、以ての外! 恥を知れっ! よいか、己も竜使いの端くれならば、笛一本で自分の竜を取り返すのぢゃ。このソーマの実はわしが預かっておく。……ったく、わしゃ情けないわい!」
 拾ったばかりの実を取り上げられたベルカは、彼がいつものようにさっさと立ち去ってしまわない内に、必死になって訴えていた。
「師匠! 聖なる竜にまみえし竜、また聖なる竜とならん……。そう聞きました。アルダは本当に、そんなものを望んでいるんでしょうか? アルダは、一体……」
 しかしはたと見てみると、老人は世界の果てに屹立するあの巨像達のように全く変わらない表情をして、ただその眼差しを返してくるのみであった。
「アルダが望んでいるのは一体……」
「お前はどうなのだ? お前は」
「僕……?」
「竜を鍛えるという事は、即ち己を鍛える事だ」
「僕は……」
「そう。お前は……ん? お前いくつ実を持っとんぢゃ。これ、何個か売って儲けようとしておったろ?」
「……」
「何とか言わんかい、こら」
 アル・シンハが杖で突くと、ベルカの服からはぽろぽろとソーマの実が落ちてきた。それは突いたら突いた分だけ何個でも、延々と彼の身体から落ちてくるのだった。

 ハワプールの下町は、その迷宮的構造によって訪れる者達を審査し選り分けていく。脛に傷を持つような連中が逃げ込み、追っ手を撒くように住処を形成していった結果、ここは中心に行こうとする程に辿り着きにくくなっているのだ。
 道か隙間かも分からぬような所を通り、戸口か穴かも分からぬような所をくぐらなければならなかった。人気が無い場所にも必ず誰かがいて、暗がりを進んでいいのかどうか躊躇していると、奥からはじっと立っているだけの男がこちらを覗き込んでいた。とはいえ、そんな中をどんどん歩いていくベルカもまた、全くこの街の住人だった。勿論、それでもここまで入り込むとなると、現地の友人というやつに金を渡しておかなければ難しい。
 情報屋が位置するのは最奥部だった。元来が、情報などという形もないのに何者かが利する商品を扱う者など、質が悪いに決まっている。入り口にはいかにも腕っ節の強そうな長身の男が立っていて、何が気に入らないのか、ベルカを睨め付けて目を離そうとしなかった。背中を見せるのが躊躇われるところだが、その重々しい金属扉に手を掛けなければ中には入れない。
「おぉー、来たか」
「何か新しい話、入りました?」
 水煙草を吸っていた情報屋は、頷く代わりに料金の額を指の本数で示した。好々爺に見えるが、そのニコニコしたような皺の中では瞳が完全に埋没しており、本当のところは誰にも分からなかった。そしてそんな事を考えていると、彼もまた常に相手をじろじろと監察しているのだと気が付くのだ。老人は大量の煙を吐き出すと、部屋には二人しかいないのに小さく手招きをして、顔を近付けたきた。
「イクシュで崩れ竜使いが暴れたそうでな。結局そいつらは自分達が連れていた竜に喰われちまったそうだが、その竜というのが眠らされてこっちに運ばれてきたらしい。ところが市場の連中に聞いても、それらしい商品がない。まあ、あそこの利権は複雑だから、ちょっと別から当たってみてな……」
 ベルカはここに通って以来初めて聞いた具体的な情報に、今すぐ飛び出していきそうなくらい、身を乗り出した。結論から言わない情報屋には苛々していたが、これは後から更に金を請求する為のいつもの手だったから、仕方がなかった。
「するとどうやら、国王の誕生祝いの準備とかで、王宮が珍しい食材を大量に買い込んでるそうじゃないか……。おい! 待て待て! 顔も見せたがらない王様だ。今は完全に門が閉じられちまってる」
「そんなの関係ないです!」
「その竜はな、暴れ回って挙げ句人を喰ったんだ。自分が育てたかも知れないから返して下さいとでも言うのか? ……最近は魔物被害が多くて、どこも神経質なのを知ってるだろ? 竜関係の施設だって、風当たりが強いくらいなんだぞ」
「……他にも、手はあります」
「下水は止めておけ。下水ってのはすぐに裏切って、お前を密告する。前はたまたま上手くいったかも知れんが、素人が使うものじゃあない。今こっちで一人行かせてるから、待ってろ。な?」
 老人は手で外の方を示して、後はもう相手にしなかった。ベルカは納得がいかなかったが、どうやら引き下がる他はないようだったので、渋々その錆びた扉から出て行った。路地は狭く、上に痩せた空が見えるだけで、他には何もなかった。
 人の出入りどころか、通りかかる者さえないまま時間が過ぎた。どこかで貧しい家庭から逃げ出した子供達の歌声が聞こえて、ベルカはそれに耳を澄ましていたが、結局何を言っているのかは聞き取れなかった。嘆息して顔を上げると、見張りをしていたチンピラが暇潰しでも見つけたように、下卑た笑いを浮かべていた。
「竜の肉ってのは、どんな味がするんだろうな?」
 瞬間、ベルカは自分で意識するよりも早く、男に詰め寄っていた。
「おいおい、怖い顔するなよ。……立派なもんじゃねえか? お前だってその鎧やマント、野良竜を何十も何百も殺して拵えたんだろ? お前の竜にしたって、その時に肉をばくばく喰ってたんじゃないのか?」
 チンピラはにやけ顔を崩さなかったが、それは若干引き攣っていた。ベルカは胸ぐらを掴んだ拳に力が入り過ぎていた事に気付き、同時に自分がこのような男に恐れられているのだと知ってハッとした。それは、ナムチという巨大な化け物を引き裂いたアルダが、その血を全身に浴びるのを見た時に感じたものと似ていた。男は脂汗を浮かべながら、尚も顎をしゃくった。
「ほら、黙ってもったい付けてないで言ってみろよ。一体何がしたいんだ、お前は……?」
 が、その問いに答える時間はなかった。ここの他には入口などなかったはずなのに、分かったぞと、中から呼ばれたからである。
 竜は人の手から逃げたらしい。情報屋はそれだけ告げると、ベルカをさっさと追い出してしまった。

 竜達が互いに身を寄せ合っていた。その中でも一匹は、体格の小さな子竜に首を擦り付けたりして、しきりにその様子を気に掛けていた。
「娘が、ターラが帰ってきたんです。ずっとここで暮らすって言ってくれて……。待った甲斐がありました」
 この崖に囲まれた湖と横穴は、ミーナ村の近くでかつては魚竜の巣と呼ばれていた場所だった。今はそこに各地から野良竜が集まってきて暮らしているとは、踊り子のターラが教えてくれた。仕事で各地を転々としていた彼女は今、恋人の男と共に故郷に戻って地道な生活を営んでいる。
 確かに、このような急峻で奥まった地形であれば、人間に脅かされるような事はないだろう。地上を闊歩する彼らに脅威があるとすれば、それは人を措いて他にはない。河川から流れ込む豊かな水が食料を運び、竜達はのんびりとその腹を満たしていた。そんな穏やかな様子に、ピラルクが好物だったアルダの思い出がどうしても重なった。
 一度は探索した場所である。ベルカはその時の記憶を頼りに、苔むした岩肌を伝って湖へと降りていった。火龍の鎧や翼竜のマントを認める事が出来るのか、一部の野良竜は彼を見ただけで逃げ出した。青い水面に激しい波紋が広がっていき、それはまるで闖入者によって乱された平穏が上げる悲鳴のように見えた。
 すると、洞窟へ足を踏み入れた途端である。ベルカは複数の影に一挙に襲いかかられた。初撃を耐える為に剣を振るい、その内の何発かが敵を捉えて血が迸ったが、竜達は命を賭してこの場所を守ろうとしているらしく怯む様子は全くなかった。突っ込んできた巨躯が岩を弾けさせ、決死のブレスが水を巻き上げて波を降らせる中で、ベルカは何とかして竜使いの笛に口を当てる時間を作り出そうと、転げ回った。
 洞窟は仄かに明るい。それは外から、湖底に反射した光が差し込むかららしい。それに気が付いたのは、澄んだ音色が響いて辺りが静まり返ってからだった。だが、竜達がどれも戦意を失い去って行く中で、彼の前には依然として立ちはだかる一匹の巨竜がいた。何故かは分からない。しかしベルカは、先程まで戦っていたこの白い鱗の勇敢な竜こそがアルダであると、理解していた。
 長い時間、呼吸が喉を通るだけで、言葉が出てこなかった。彼らは親子であったし、兄弟であったし、相棒だった。ひょっとしたら恋人かも知れなかった。その全てが想いを伝えようとして、声が詰まるのである。
 それに後ろめたさもあった。人間に酷い目に遭わされて、野良竜の巣に逃げ込んでしまったアルダに対して、今更何をしに来たのかと。けれどまた、信じたい何かもあった。そうして恐る恐る、ベルカは口を開いた。
「アルダ……覚えてる? ベルカだよ」
 言えたのは、たったこれだけだ。竜は真正面からじっとその瞳を向けるだけで、沈黙していた。今その爪を振るわれれば避ける事は出来ないだろうが、恐らくベルカは死んでもいいと思っていたのだろう。殺されるのなら別に構わないと。それ程に、今彼が対峙しているのは、己の人生の中でやり遂げてきた事そのものなのだった。
「……!」
 だから、竜が啼いた。姿は変わっていたが、それは紛れもないアルダの声だった。アルダはゆっくりと顔を差し出してきて、その鼻をベルカのお腹に潜り込ませた。
 ベルカはそれを抱き締めて、ごめんも、ありがとうも、馬鹿も、よかったも、何一つ言えなかった。彼はただアルダ、アルダとその名前を繰り返し呼びながら、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。とにかく自分の隣にはアルダが居て、それが本当に嬉しくて堪らなかったのだ。この世界の中で、彼にはたった一人の仲間だったから。
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