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『wizardryで物語る』 Appendix Story
002 カトリーナ・フリエル

「エルフって、自殺が出来ないそうよ」
 あたしが出し抜けに口を開くと、隣に座っていたセスは不思議そうにしてこちらを向いた。街路樹から漏れる午後の光に照らされた彼の横顔は、呆然とも不安げともとれる様子で、そこからは何となく静けさのようなものが感じられた。
 セントリー寺院前の石段には、あたし達以外の人影は見当たらなかった。しかし例え誰かいたとしても、ここにたむろしているのは迷宮でしくじった冒険者に決まっていて、それは今の私達と同じように、やはり口を開くのも億劫だという状態に違いないのだった。だからここでは、目の前に流れるレビス川の水音と、初夏の風だけが、ゆっくりと時間を進めていた。
 あたしは、そんな静けさが大嫌いだった。だから矢継ぎ早に口を開いた。
「エルフって、何千年と生きるんでしょ? しかも、大昔から自分達が完成された種族だという自覚があるんだって。だから変化というものを極端に嫌うらしいわ。死なんて、究極の変化だもの。悠久の時を生きるエルフにとって、それは自分から選べるものではないのよ」
「うん」
「だけど、問題はあいつ。さすがに聞いた事はあるわよね? 『死にたがり』って」
「メンダークスさんの事?」
「そう。有名よ。前衛で刀二本を振り回して、パーティの安全も考えずに突っ込んで行くって。腕は確からしいけど、エルフにあの軽装でしょ? もう何度もロストしかけてるらしいわ。もちろん、その時の仲間も含めてね……。要するに、死にたいのよ。自殺出来ないから、殺して欲しいって訳。その証拠に、少しすると顔付きも変えずにまた酒場にいるって話よ。あの顔でね。暗ーい何考えてるのか分からない、あの顔! お化けみたいに色白で……」
 手振りを加えながら夢中で話していると、後ろの寺院を見上げていたセスが、いつの間にかあたしを見つめていた。意思は読み取れなかったものの、その無遠慮な視線にあたしは思わずムッとした。
「ちょっと。あたしは悪くないからね。あいつ、一発でやられちゃったんだから。びっくりよ。自分からやられにいったのかと思ったくらい。超一流の僧侶でも回復する暇なんてなかったわ」
「うん」
「大体! あいつがやられたおかげで、このあたしがどうなったのか、まさか忘れてないわよね! 一人欠けて陣形はボロボロ。突然攻撃が集中して、この通りよ!」
 服をめくり、まだ生々しい傷跡を見せつけてやったが、彼は焦ってすぐ目を逸らしてしまった。今はもう、痛みもなかった。あたしの僧侶魔法だって、どうやら捨てたものではないらしい。けれど、視界が一瞬で狭まり、息を吐くように力が抜けていくあの感覚は、まだこの体にこびりついていた。あれこそ、限りなく死に近い何かだった。
「でも、一番許せないのは宝箱ね! あんな必死に敵を倒したのに、お宝をそのまま置いてきたなんて信じられない。一体何のために迷宮に潜ったのよ」
「二人を急いで町へ戻すためだよ。他にも怪我人がいたし、残ってた人はみんな賛成……」
「冒険者が危険を冒してでも戦うのは、その確たる代償を得るためでしょ! 毎日こんなもの振り回してれば、ピンチにだって遭うわ。だからこそ、それに見合う財宝や栄誉が……!」
 と、メイスを振りかざしての演説はそこまでだった。下の遊歩道を歩く老婆と、強く目が合ったのである。彼女は見せつけるようにしてしわくちゃの顔をしかめ、あたし達に軽蔑の眼差しを送っていた。セスはあたしの瞳を追ってそれに気が付くと、哀しそうに眉をひそめた。
「……仕方ないわよ。ハルシュタインがやっているのは、戦争の準備みたいなものだから。それが荒くれ者達を引き寄せて、おまけにそいつらと取引したがるような商人でトランブルを溢れかえらせてる……。誰も彼も、魔物が多いこの周辺を越えてまでやって来る人だもの。今は、町全体が生き急いでいるみたい。ここじゃあ、老人のように考える時間を余らせた人は、不幸だわ」
「カトリーナ、聞いてもいいかな?」
「ん?」
「君は、どうして冒険者に?」
「あたしは……、生きるためによ」

 カイはずっと寺院の中にいるらしかった。ジンは川縁で佇み、たまに石を拾っては投げたりしている。グレースは離れた所で所在なげに呪文書を開き、あたし達は宙ぶらりんになった会話を持て余していた。
 迷宮は深く、どこまでも暗い。何度潜っても、一歩先には孤独と恐怖が息づいている。今度のメンダークスの死は、あたし達に確かな衝撃を与えていた。特に経験の浅いセスは、かなり気持ちが落ち込んでいるように見えた。こんなパーティなのに、彼はまとめ役としての責任を強く感じていたのである。
 上空では雲が千切れて、青が淡い色合いでのっぺりと広がっている。そこに、「おーい!」というカイの声が響いた。一斉に振り返ったあたし達に、彼は「成功だ」と続けた。
 扉の中へ駆け込むと、聖堂には今日も修行中の僧侶達が並び、古い言語を一定の調子で読み上げていた。あたしは不意を突かれたように、思わず不愉快な感情を顔に出しそうになったが、長椅子に座っていたあのエルフを見た途端、そんなものは吹き飛んでいた。
 あの光景は今でも忘れられない。奥の巨大なガラスから届く明るさの中で、青白く無感動な面持ちをしたあいつが、苦虫を噛み潰したような厚かましい目をして、まるで期待を削がれたとでも言わんばかりの息を鼻から漏らしていたのである。
 その瞬間、怒りは頭から口へと、真っ直ぐに飛び出していた。
「あんたねえ!」
「ちょ、ちょっとカトリーナ」
「あんたのせいで、こっちまで死にかけたのよ!? 死ぬのは勝手だけど、人に迷惑かけないで死んでくれる!?」
「メイス! メイスはおよしなさい! 蘇生は成功しましたが、体力は戻っていないのです! そんなもので叩いたら、また死んでしまう!」
「うるさいわね! 大体、体力くらい回復しておきなさいよ! 寄付金はいつでもきっかり取るくせに! この後誰が治療すると思ってるのよ!」
「……無理には、頼まない」
「はあー!? あんたまさか、医者へでも行く気? そんなお金どこにあるの!」
「あの、存じているとは思いますが、町中での呪文詠唱は違法ですので、ここでは……」
「そんなの知ってるわよ!」
「お、落ち着いて、カトリーナさん! 人が見てる……」
「あたしはみんなのために言ってるんだから! これにロストなんかされたら、ただでさえ組む人の見つからなかったあたし達が、またどういう目で見られるか!」
「……」
「あーもう! とにかく反省はしてよ!? いい!? してる?」
「……」
「こ、こいつっ、謝るくらいはしなさいよ! あたし今、相当譲ったのに!」
「きっとまだ疲れてるんだ! とにかく外に出よう!」
「一言くらい謝れえ!」
 焦ってあたしを押さえ付けるセスとグレース、おろおろする教区長に、謝るカイ。そして頭を抱えているジン。騒ぎはしばらく収まらなかったが、寺院での冒険者達による一悶着は珍しいものではないのか、僧侶達の詠唱は淡々と響き続けていた。
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