『立春』
大凶
悪しきもの 闇を率いて 舞い降りぬ
死中に 光 出づること無し
あの秋晴れの鶴見神社で自分に手渡されたちっぽけな紙切れを、火眼は今も懐に入れて、時たま見返していた。
上空まで透き通るような無色の空には、祭りに興じる人々の喧噪が溢れ、あちこちで屋台の煙が立ち上り、とてもこの世界と地獄の王との決戦が迫っているとは思われなかった。
そんな場所では三人もまた浮かれた人波の一部に過ぎず、おみくじを持ってきた若い巫女も、その辺の家族連れを相手にしているつもりで、十三歳の火眼に笑いかけたのだ。
「難しくて、よく分からなかったでしょう? おみくじなんて、そんなもんよ」
しかし彼には、この運命の行き止まりを告げる文字が、妙にしっくり来たのだった。
それは自分でも不思議な感覚だったが、余りにも強大なその存在について、薄紙がいとも簡単に言葉にした為に、頷くしかなかったのかも知れない。
そりゃあ、そうだろう。
相手は神だ、向かうは地獄だ。
その時、ふと口元が緩んだのを火眼は覚えている。
そうして彼は、打破すべき運命としてそれを胸の内にしまったのだった。
あの戦いを終え、静かな冬がやって来ても、ちっぽけな紙切れはいつもそこにあった。
前日の雪が所々残り、それが陽の光を反射して、地上は明るさに満ちている。
空気が冴え、村の裏手にある滝の音は、どこまでも届くかのように思われた。
木々の生長が止まるこの季節、畑が暇になる農家も一緒になって伐採が行われ、職人達は炭窯で何日も火と向かい合う。
ジパング一と名高い、火影村の炭作りである。
水辺にある両親の墓の下には、父だけがいない。
竜王の剣士として闇の大穴へと向かい、帰ってこなかったのだという。
火眼はそれを、今回の旅で初めて知った。
かつてその地位を固辞した祖父や、火の一族の掟を破り、村を追われてまでも彼と生きようとした母が一体何を想ったのか、それはもう知る由もない。
この村を発つ前と後で、自分は如何程の事を知ったのだろうと、火眼は考えずにはいられなかった。
「ヒガン」
躊躇いがちに呼ぶ声に振り返ると、細い幹の後ろから昴が顔を出していた。
いつの間にか、昼飯の時間を過ぎていたらしい。
気が付いた火眼が笑いかけると、彼女も安心したように笑顔を弾けさせて、彼の手を引きながら家に向かって歩き始めた。
そうして道すがら、巴という村娘が美しい料紙を使った手紙をくれた事、それにどんな返事を書くか考えているといった話を、楽しそうに喋った。
その言葉は一つ一つ幸福に色付いていて、辺りに美しい香を放つかのようだった。
「スバル、お前何だかデカくなったな」
そんな何の気なしの一言に、昴は照れたように喜んで、握っていた手を離し後ろで組んだ。
「スバルね、早く大人になりたいんだ」
「ふうん?」
「ヒガンも大きくなったよ!」
「お、そうか?」
火眼は嬉しそうに、自分の頭に手を置いた。
「ゲンコツとビンタがさ、ご飯食べたら来てくれだって」
今日もまた、旅の相談に違いない。
二人はこの春、ジパングを巡る計画を立てているのだ。
しかも火眼の力を借りずにと言うのだから、周りは心配ばかりしている。
既に地上では地獄のものを殆ど見かけなくなってはいたが、いつの時代でも旅路とは簡単なものではない。
けれど、こうした少年の意地のようなものに火眼はつい同情を抱いてしまうし、可愛い弟分達の世話も焼きたくなってしまうのである。
まだ、寒い。
暖かくなってから考えればいいだろうと、火眼はあっけらかんとしたものだった。
若い者は、少し目を離せばどうなるかなど、誰にも分からないのだから。