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『wizardryで物語る』 Appendix Story
彼らに纏わる話 036

「ワクワクなんてした事は一度もない。常に、ここから出たいの一心だった」
数えきれぬ迷宮を踏破した『石の探訪者』の一人ゲルベルト・ヘスラーは、かつて歴史学者リスト・イソラに語りました。

迷宮を支配しているのは、ヒトがどうこう出来るレベルではない圧倒的な恐怖だ。
目の前の角を曲がった瞬間、数十匹の魔物がこちらに襲いかかってくる夢をよく見ていた。
つい先程顔を合わせた冒険者が、後ろから斬りかかってくる夢も。
それに比べれば、この先に何があるのか?などという安っぽい好奇心などは、少女が甘ったるい文学を読んで抱く夢のようなものだった。

だが一度潜れば、もはや歩き続けるしかないのだ。
迷宮から脱出するのが困難なように、ならず者として一時を生きたなら、陽の当たる所へ帰る事は容易ではない。
地図の空白を埋める理由はただ一つ、このどうしようもない地の底から脱け出すためだ。

だが、何をするにも代償が必要になる。
一つの事を成し遂げようとすると、どこかを痛め付けられたり、何かの損を被らなくてはならない。
もしくは誰かを犠牲にする事も珍しくはなかった。
生きる事がそうであるように、常に消耗しながら進み続ける以外にはないのだ。
屍を踏みしめて、ボスに剣を打ち下ろしても、その次には別の迷宮へ向かうだけだった。
地の底から這い出すために、より深くへ潜っていった。

暗がりの中でよく、「出たい」「辞めてしまいたい」と口に出して嘆く者達を見てきたが、そんな奴らは皆嘘っぱちなのである。
本当にそう思っている訳ではなく、そう思っていたいのだ。
思ってさえいれば、それで何かを解決する方へ向いている気でいられるし、後は何をしていても精一杯やっているように錯覚出来る。

不幸を知ろうとしなければならない。
昔、迷宮を彷徨いていたノームでそんな事を言っていた奴がいた。
怪しげな眼をした女で、「不幸に気付けば不幸も愛せるし、幸福も増える」と喚いて、暗がりを歩き回っていた。

しかし、開き直りが必要であると言うのならば、それは間違いでないと思う。
俺は開き直りで生きてきた。
如何に金を上手く使ったところで死ぬ時には死ぬが、巧妙に開き直る事さえ出来れば、どんな血生臭い状況でも満足を覚えられるようになる。
だから、湿った空気の流れを感じて顔を上げた時、そこにより広大な迷宮が広がっていたとしても、俺はいつも笑っていたのだった。
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