彼らに纏わる話 038
今日はいい天気だと思って出かけたら、突然雨が降ってくるなんて事は珍しくありません。
世界にはそんな日が溢れかえっています。
その度に誰かが恨めしそうに灰色の雲を見つめ、どうして分からなかったんだろうと嘆息しています。
雨が降る瞬間というものを捉える事は可能でしょうか。
もちろん、空の動きや、風の匂いや、気温の変化で、何らかの兆候を感じ取る事は出来ます。
しかし雨粒がいつ生まれ、どこに落ちて、雨は降るのか。
それは誰も知りません。
下らない、とエルフは言いました。
彼らはそのような瑣末な一滴に特別な意味など認めず、それを認めない事で超巨大な視点を獲得したのです。
昔、サリアンナ・アマートゥス・ピウス・ブロムベルグは、故郷の森で身体を抱いて座り込み、落ち行く無数の木の葉をじっと見つめていました。
彼女は遠大な時間が流れる中で、その全ての動きを、世界中の滴が落ちるその瞬間を捉えようとしたのです。
何故そんな事を始めたのか、頭のいい彼女にも分かりませんでした。
元々そうだったような気もしていて、それでいいかと、大して考えてこなかったのです。
とにかく全てを把握してしまえば何もかもが明らかになるのだし、この世界や、自分自身を運営しているものの正体に気付けるはずですから。
今や目の前に広がる無数の偶然と、そこに秘められた謎に埋もれてしまっていましたが、彼女が幼い頃に出会った二人の少年がついた嘘とその理由も、そうしていずれは明らかになるはずでした。
「TILTOWAIT」
力ある言語がまた、圧倒的な破壊を生み出しました。
不規則に荒れ狂う光と熱と衝撃。
しかし巻き上がった煙からは再び、深紅のマントが浮かび上がってきます。
お供に付いていた翼を持つ獣達は、彼女の魔法で簡単に一掃されました。
ですが、そのヴァンパイアは何度でも魔力の渦の中から這い出して、サリアンナに掴み掛かり、殴り、切り裂き、牙を突き立てました。
優雅なまでのその威厳は、真祖の者かとすら思われました。
もちろん、そんなはずはありません。
もしそうであったなら、今頃サリアンナの生命が持つ時間は吸い尽くされていたでしょう。
とはいえ、尚も戦闘の行方は混迷を極めていました。
彼女はいつだって、恐怖など感じません。
杖で敵の一撃を防いだ瞬間も、まるで大好きなギャンブルに興じている時のように、その勝負の行方を他人事めいた見方で観察していました。
そろそろ手を替えた方がいいかしら。
そんなように、頭に次の呪文を思い巡らせていた時です。
彼女はふと横に視線を走らせた事で、自己に孤独が訪れていると気が付いたのでした。
それは、いつも隣にいたカヤの動きを確認するための一連の動作でした。
サリアンナは今、独りで戦っています。
ある時点から彼女は突然一人きりになり、そして消えてしまった仲間達を求めて、膨大に立ち並ぶ迷宮の扉を開けて回っていました。
そうして不思議な気分を自覚していました。
いつの間にか、誰かと一緒にいる事が自分にとって当たり前になっていたのです。
聖魔法BADIALMAを唱えながら、サリアンナは考えました。
孤独が訪れる瞬間というものを、捉える事は可能だろうか。
その呪文はまた、ヴァンパイアが纏う深い紅に飲み込まれ、行き着く先を永遠に失いました。
それを本当に孤独と呼ぶのか、実は彼女はまだ分かっていません。
知識を追い求めるために仲間達から離れなければならないと考えていた彼女が、いつかそれを理解する時がくるのかどうかも、決してはっきりしないでしょう。
しかし長い旅の道程でばったり行き当たった道連れ達が、この心模様を生んだ事は間違いなさそうでした。
世界に落ちる無数の滴の中で、空を見上げる自分の額を濡らしたその一滴にこそ、ヒトは何かを思うように。